JENESYS東アジア次世代リーダープログラム
により訪日したモーモートゥン氏へのインタビュー
21世紀東アジア青少年大交流計画/東アジア次世代リーダープログラム『グローバル金融危機における人の移動とコミュニティーの役割』に参加するため、世界移住機関(International Organization for Migration;IOM)ヤンゴン事務所の管理会計部長のモーモートゥン氏が5月12日~24日まで訪日しました。 このプログラムには、ASEAN10カ国、インド、オーストラリア、ニュージーランド、中国及び韓国から参加者がありましたが、彼らは、東京、金沢、名古屋等を視察し、各種コミュニティーがアジア・オセアニア地域で連携することによりこの共通の経済危機をどのように克服できるかについて議論を交わし、成果報告書をまとめました。 モーモートゥン氏は、訪日経験について下記の通りインタビューに答えました。 参加されたプログラムについて説明してください。 このプログラムは様々な国からの全参加者が一同に会し、初日に自国の現状について発表して各国の状況について情報を共有した後、各地の移民コミュニティーや地方政府を訪れて、移民コミュニティーや日本の移民政策について学ぶという非常に有意義なプログラムでした。
プログラムの中で、プレゼンテーションを行ったりご自身のご意見を述べたりする機会がありましたか? まず初日に、私たちは自国の現状について報告を行い、また最終日にはグループ発表を行いました。私たちのグループは、「日本における移民コミュニティーの政策との相互影響における役割と可能性」をテーマに選びました。私たちのグループはブルネイのエリナ氏、ラオスのサヤセン氏、オーストラリアのラシカ氏、日本の細木氏と私でした。私たちはこのプログラムで学んだことを議論し、それに基づいてレポートをまとめプレゼンテーションを行いました。このレポートで私は「移民コミュニティーの役割」を担当いたしました。またワークショップの後には他の参加者らと「グローバル金融危機の移民への影響に対するIOMの政策」、2008年版「世界移住報告-World Migration Report」についても意見を交わしました。 日本訪問で得られた経験を今後どのように活かしていきたいとお考えですか? 私は、IOMに勤めておりますので、現在は管理会計部門の責任者であり移民問題の専門家でないとはいえ、私の経験はIOMの今後のプロジェクト選定や設計に寄与できるのではないかと考えております。また、私自身も移民問題、特に労働力移動について更に学びたいと考えております。
日メコン交流年行事 JENESYS日メコンサッカー交流 壮行会
5月29日ヤンゴンにおいて、21世紀東アジア青少年代交流計画(JENESYS) 日メコンサッカー交流に参加するU-15ミャンマー代表選手の壮行会が日本大使館と日本国際協力センター(JICE)の共催で開催されました。このプログラムは、日メコン交流年を記念してメコン5カ国からU-15のサッカー選手を、6月1日から9日まで日本に招聘したものです。参加した18名の選手は、いずれも今年秋に開催されるアジアサッカー連盟(AFC)U-16選手権に参加する予定の選手達です。 壮行会では、野川日本大使とミャンマーオリンピック委員会書記でもあるタウン・タイスポーツ省スポーツ体育局長による選手たちへのはなむけの言葉が述べられ、ゾー・ゾーミャンマーサッカー連盟会長が乾杯の音頭をとりました。 このプログラムは、JICEと日本サッカー協会との共同により実施されたもので、メコン諸国および日本との合同トレーニング、交流試合などが行われました。ミャンマーはこの交流試合の5試合を3勝、1分け、1敗に収め、ホスト国日本に次ぐ2位となりました。
草の根無償資金協力によるトンテー地区パンフライン小学校及びミャカンター小学校の引渡し式典開催
5月30日にヤンゴン市内ホテルにおいて、日本大使館とミャンマー元日本留学生協会(MAJA)共催、ヤンゴン日本人商工会議所(JCCY)協賛により日メコン交流年記念日本語スピーチコンテストが開催されました。
日本語スピーチコンテストは、ヤンゴンでは今回で10回目となる毎年恒例の行事です。例年は、特定のテーマが設定されていませんが、今年は日メコン交流年にちなみ日本とメコン諸国の関係という大きな国際的な課題について参加者の皆さんに考えて頂くことを望んで、日メコン交流年のキャッチフレーズ「共に未来へ、日本とメコン」がテーマに設定されました。
全国から応募した日本語学習者38名の中から、第一次予選を通過した15名がスピーチを披露しました。発表者はそれぞれ自分自身の経験や考えに基づき、スピーチを行いました。また、質疑応答のセッションでは、審査員と発表者とのユニークなやり取りに、会場は盛り上がりました。
日メコン交流年である今年は、1位2位の入賞者には、他のメコン4か国のスピーチ大会入賞者と共に日本で6週間の研修に参加する資格が与えられ、3位の入賞者には、日本で2週間の研修を受ける資格が与えられました。
また、今年も協賛団体であるJCCYより第1位入賞者への賞品21インチ型テレビ、DVDプレーヤー及びVCDラジオ・カセット・レコーダーのセットが寄付され、また共催団体であるMAJAからも豪華な賞品の寄付がありました。
授賞式では、受賞者の名前が発表されると、会場内には大きな歓声が沸きました。 第1位は、サイクロン救援・復興支援活動を日本人と協力して行った経験をもとにスピーチを行ったセッパインさんが受賞しました。その他の受賞者は、下記の通りです。
【受賞者】 第一位:セッパイン 第二位:ナンヴォチップ 第三位:テッテッモー 敢闘賞:エイントゥトゥタン
草の根無償資金協力によるトンテー地区チュンドォトォチェ小学校及びカロウッ小学校の引渡し式典開催
草の根無償資金協力によるモン州HIV/AIDS感染患者総合ケア施設の引渡し式典
草の根無償資金協力によるモン州ミョーウー僧院付属小学校の開校式
日メコン交流年行事 2009年日本文学翻訳コンテスト表彰式の開催
5月30日、日メコン交流年行事として実施された第4回日本文学翻訳コンテストの授賞式が、同日に開催された日本語スピーチコンテストに併せて、ヤンゴン市内のホテルにて開催されました。 第4回日本文学翻訳コンテストは、2月28日にヤンゴンとマンダレー両都市で日本大使館主催、ミャンマー元日本留学生協会の協力、ヤンゴン日本人商工会議所協賛により実施されたものです。本コンテストでは初級、中級、上級と3つにレベルを分け、それぞれ自分の日本語能力に適した作品を参加者が翻訳しました。4回目となった今年の翻訳作品は、初級は楠山正雄の「和尚さんと小僧」、中級は宮沢賢治の「車」、上級は横光利一の「頭ならびに腹」でした。 審査委員長のキンエー元ヤンゴン大学文学部ミャンマー文学学科長が講評で述べられように、「基本となる日本語と、翻訳で必要となるミャンマー語、双方ともに熟達していること」が求められる難しいコンテストですが、ヤンゴンで111名、マンダレーでは86名の日本語学習者が挑戦しました。 入賞者の方々は、入賞の喜びと共に、更に日本語を学ぶ意欲を述べていました。 日本大使館は、今後も日本語学習者の目標となるような行事を企画し、日本語能力の向上に向けた支援を行って行きたいと考えています。
【受賞者】 初級
中級
上級
21世紀東アジア青少年大交流計画/東アジア次世代リーダープログラムによる農業経済専門家の訪日
4月27日日本大使館の主催で、日メコン交流年記念、日本語学習者の集いが開催されました。ヤンゴン市内の日本語学校で日本語を学んでいる学生が107名、日本語教師が7名参加しました。 この集いでは、まず日本とメコンの国々に関するクイズ大会が行われました。一問ごとの回答が発表されるたびに正解者からは歓声があがり、日本語学習者の皆さんは、楽しみながら日本語に触れることが出来ました。 「日本とメコン諸国についていろいろな事を知ることが出来てよかったです。」「ミャンマーと他のメコンの国の似ているところや違うところがわかりました。」といった感想が寄せられました。正解数が多かった上位の1位から3位の人には賞品が授与されました。 その後、日本のテレビドラマが上映されました。テレビドラマのなかの若者文化は、日本語を学ぶ人たちにとって大変関心がある様子で、「日本の若者は、あんな髪型をしているのですか?」といった、質問が聞かれました。 大使館としては、こうした日本の学習者の集いを通して、日本語を学ぶ人々がより日本への理解と関心を深められることを期待しています。
草の根無償資金協力によるビャカ地域保健所(カレン州)の開所式
日メコン交流年行事
ミャンマー人留学生のためのオリエンテーションと送別会
東アジア青少年大交流計画(JENESYS Programme)次世代リーダープログラムにて訪日したミョー・ター・テッ氏(セブン・デイ・ニュース・ジャーナル副編集長)へのインタビュー
日メコン交流年開会式に出席したモー・ナインギタメイト音楽センター所長及びトゥン・トゥン講師へのインタビュー
日メコン交流年行事 ギタメイト音楽センターによる日本・ミャンマー音楽紹介コンサート
日メコン交流年行事 2009年日本映画祭ヤンゴンとマンダレー2都市で開催
野川大使の式典参加(抗インフルエンザ薬「タミフル」等の引き渡し式典)
日メコン交流年行事 津軽三味線「あんみ通」とミャンマーの竪琴のコンサート
日メコン交流年行事 ヤンゴンとネーピードーにおける元日本留学生の会の開催
草の根無償資金協力によるタニンダリー管区タンタヤーエィ僧院付属小学校の開校式
野川大使の式典参加(FAO経由によるミャンマー無償資金協力支援
1月26日、野川大使はテー・ウー農業灌漑大臣と共に、我が国政府がFAO経由で支援する無償資金協力案件(RestorationofFoodSecurityandAgricultureBasedLivelihoodsinMostCycloneNargisAffectedAreasofIrrawaddyDeltaofMyanmar)に関する贈与署名式典に出席しました。 日本政府は、サイクロン・ナルギスで甚大な被害を受けたエーヤワディ・デルタ地域における食糧安全保障および農業を基盤とする生計復興のため、上記支援を決定しました。この支援は総額2億円であり、FAOを通じて、農業用機材、役畜、家畜等が供与されます。 この贈与署名は、当地において、宮本JICAミャンマー事務所長と今井FAOミャンマー代表により行われました。
草の根無償資金協力によるマハダマサリヤ僧院付属小学校の開校式
日本政府は2008年 1 月28日に草の根無償資金協力によりマハダマサリヤ僧院付属小学校の校舎建設資金76,996米ドルを支援しました。今般、同校校舎が完成したことに伴い、2008年12月12日に同校舎の開校式が行われました。式典には、在ミャンマー日本国大使館から吉村藤謙書記官が出席し、トゥン・エー学校建設委員会委員長より我が国への感謝が述べられました。 マハダマサリヤ僧院付属小学校は、1993年より経済的理由などから公立小学校に通えない貧しい家庭の子供たちを受け入れ、無料で授業を行っています。ミャンマーではこのような僧院による学校教育が各地で行なわれており、子どもたちの教育レベルの向上に重要な役割を果たしています。今回、2階建て校舎、学校家具、トイレを支援したことにより、子どもたちの学習環境が改善されました。 日本政府は、これまでにもミャンマーにおいて160校以上の学校を建設するなど、教育分野における支援を実施しています。教育は国の発展にとって大変重要であり、日本政府はこれからもより多くの子どもたちが教育を受けられるよう支援を続けていきます。
JENESYS東アジアクリエーター招聘プログラム(ミャンマー人写真家訪日)
7月3日から9月30日まで訪日した写真家チョー・チョー・ウィンさんにインタビューしました。
問:日本に着いた時の第一印象を教えてください。 答:日本に着き、足早で歩き、電車の中で押し合う人達の様子を見て、この人達に家族とゆっくり過ごす時間はあるのかなと思いました。その後、日本で滞在するうちに、発展した日本でも歌舞伎などの伝統文化を大切にしていることを知り、とても感心しました。
問:日本でどこが一番印象的でしたか。 答:京都を一人で歩いたことがとても印象に残っています。東京はいろいろ人達が集まって暮らしているので、優しい人とそうでない人とが共存していると思いますが、京都の人は皆優しく、助け合っていると感じました。写真家である私にとっては、京都は写真に撮りたい美しい景色が沢山あり、またミャンマーのマンダレーのような文化の都市なので、とても気に入りました。
問:どの日本食が一番美味しかったですか。 答:おにぎりが美味しかったです。刺身は全く食べることができませんでした。
問:今回のプログラムについて教えてください。 答:今回のプログラムの内容は写真家研修ではなく、私が滞在したトーキョー・ワンダー・サイトで私とドイツのデザイナーなど様々な分野の芸術家5名が「富士山の創造」というパフォーマンス・アートを造り上げるものでした。
問:他の国の参加者は、チョー・チョー・ウィンさんのような写真家の他、どのような方々が参加していたのですか。 答:作家、作曲家、映像専門家、漆器・土器職人、画家など様々な芸術家が参加していました。
問:それでは写真家の技術を披露する機会はなかったのですか。 答:そんなことはありません。帰国前に東京にある写真協会でミャンマーの写真活動の現状について講演をする機会がありました。日本の写真愛好家が沢山参加してくれました。ミャンマーの美しい景色の写真を見せ、ミャンマーの美しさを知ってもらいました。以前、ミャンマーのシュエダゴンパゴダで写真展を行った時にミャンマーに来ていた日本人写真家も講演会に来てくれました。
問:今回の旅行で得た経験を今後どのように活かしていく予定か教えて下さい。 答:今月末にでもミャンマー写真家協会で仲間の写真家達に日本訪問を報告する予定です。また、来年、「日本におけるミャンマー人写真家」とのタイトルで写真展覧会を企画する予定です。
10月22日及び23日、ヤンゴン市内にて、国際交流基金及び在ミャンマー日本大使館共催の折り紙紹介事業が須部久子氏及び宮内明美氏を講師として開催されました。
折り紙は、日本の伝統文化の一つですが、日本人で折り紙をやったことのない人というのはまずいません。また、子供から大人まで幅広い年齢層が楽しめること、実際に自分でやって楽しめることという二つの理由により、海外でも大変人気があります。
折り紙が、日本人の講師によりミャンマーで紹介されるのは初めてですが、須部講師は、折り紙の全く初心者からある程度の経験者までを対象に、基本的な鶴から応用作品までデモンストレーションで紹介しました。その後の、ワークショップで、参加者はアシスタントの指導を受けつつ、実際に折り紙を体験しました。
須部講師は、「折り紙は「四角」だが、折り紙を仲間と一緒に助け合いながら楽しむことにより、「丸い」コミュニケーションが生まれる。」と述べましたが、ワークショップでは参加者がお互いに助け合っている姿が見られました。
今回の合計3回の公演には、子供、日本語学校の学生、教師、芸術関係者等、幅広い年齢層の合計353名が参加しました。
参加した幼稚園教諭からは、「幼児でも楽しめる簡単な折り紙を学ぶことができ、今後の指導に具体的に役立てることができるので、参加して本当に良かった。」、日本語学校の学生からは、「折り紙を綺麗に仕上げるには、几帳面さと正確さが求められることがわかり、日本文化の精神の一端に触れることができたと思う。」等感想を述べました。 日本大使館としては、今回の講演会により、ミャンマーで、折り紙ブームが起こることを期待しています。
2008年10月12日、日本大使館主催、ミャンマー元日本留学生協会、ヤンゴン日本人学校及びギタメイトミュージックセンターの協力による第1回日本歌謡のど自慢大会がヤンゴン市内で開催されました。今回の大会ではミャンマー全国から158名の応募があり、予選を通過した21名が約350名の観客の前でそれぞれ日本の歌を披露しました。 優勝者は、谷村新司の「昴」を歌ったサイン・サイン・シャンさん、第2位は花花の「さよなら大好きな人」を歌ったヤダナー・ワインさん、第3位はザ・タイガースの「モナリザの微笑み」を歌ったキン・ウー・エーさんでした。その他、特別賞として、チャゲ&飛鳥の「 Say Yes 」を歌ったチョー・ティハ・トンさん、井上あずみの「君をのせて」を歌ったタン・ティサー・アウンさんがそれぞれ授賞しました。
本大会で優勝者したサイン・サイン・シャンさんは、「自分の一番好きな日本の歌を大勢の観客の前で披露でき、また1位入賞までできて感無量です。」と述べ、また第2位になったヤダナー・ワインさんは嬉しさのあまり涙目になりながら、「自分が2位に選ばれるとは思ってもいなかったので、自分の名前が呼ばれた時は本当に驚きました。今でも信じられません。」と感想を述べていました。 来観した日本人の方からは「日本人より歌が上手なので大変驚いた。」、「日本語が話せない参加者でも歌の日本語の発音が完璧だったので感心した。」などのコメントがあり、また今回審査委員長を務めたヤンゴン日本人学校音楽教師の五月女先生も「参加者皆大変上手なので審査がとても難しかったです。」と講評で述べました。
来年の第2回日本歌謡のど自慢大会は、日メコン交流年事業として開催する予定ですので、日本の歌に興味があるミャンマー人の方は是非挑戦してみてください。大使館は皆様の挑戦をお待ちしています。
6月1日に開催された2008年日本語スピーチコンテストで1位に輝いたモー・モー・カインさんが国際交流基金日本語学習者訪日研修で9月10日から24日の約2週間日本に訪れました。今回の研修では50カ国から54名の日本語学習者が参加しました。今回ミャンマーから参加したモー・モー・カインさんに研修での体験についてインタビューしました。
問:日本に着いて第一印象はどうでした。 答:日本人は、皆歩くのは速いし、忙しいそうにしているという印象を受けました。
問:日本で一番印象に残っている場所はどこですか。 答:京都の清水寺です。自然が一杯でとても綺麗なところで大変気に入りました。金閣寺もとても綺麗だと思いましたが、中に入ることができなかったので残念でした。
問:日本食で一番おいしかった食べ物は。 答:お好み焼きです。他の食べ物はあまり口に合わなかったです。
問:研修について印象を聞かせてください。 答:研修のスケジュールはとてもタイトでしたけど、ホームステイ先のホストファミリーはとても親切でしたし、また研修所では生け花や書道などの日本文化体験も実際にできてとても充実したものでした。また、研修を通して他国の日本語学習者とも知り合うことができたことも大変良かったと思います。
問:他の国の参加者の日本語レベルと較べて、モー・モー・カインさんの日本語のレベルは高かったですか。 答:参加者の中で私以外に日本語能力試験1級を合格している人が少なかったからかも知れませんが、私の日本語能力は低いほうではなかったと思います。今回の研修で自分の日本語能力が十分に通用するものだとわかり、大変自信になりました。
問:最後に将来の夢を聞かせてください。 答:将来は、日本で経営学を学び、ミャンマーに戻ってビジネスをすることです。そのために、もっと日本語を頑張って勉強したいと思います。
野川大使の式典参加(無償資金協力「マラリア対策計画」署名式典)
2008 年 9 月 12 日、「マラリア対策計画( the project for Malaria Control in Myanmar )」の実施のため、約 310 万ドルの無償資金協力についての書簡交換が、野川保晶駐ミャンマー連邦大使とソー・タ国家計画経済開発大臣との間で行われました。 このプロジェクトは、マラリア流行地である中部のバゴー管区、マグウェイ管区及び南西部のラカイン州において、マラリア治療薬、迅速診断キット等の医薬品や蚊帳、殺虫剤等を整備するとともに、医薬品管理システムと蚊帳の使用啓発に関する技術指導を行うものです。 このプロジェクトの実施によって、これまで、医療施設での受診・治療サービスを受けられなかったマラリア患者が、マラリア予防・検査・治療を適時、適切に受けることが可能となり、対象州管区での受診及び治療者数が増加し、また、蚊帳や殺虫剤の供与により、ハマダラ蚊(マラリア媒介生物)及びマラリア原虫の増殖を抑えることが可能となり、数年後には対象州管区におけるマラリア罹患率及び死亡率が低下することが期待されます。
9月25日ヤンゴンにおいて、2008年度日本政府奨学金により10月から日本の大学院等において留学する予定のミャンマー人青年に対するオリエンテーション及び野川日本大使主催による送別会が開催されました。
参加した16名の留学予定者は、いずれも次代のミャンマーの国造りを担うことが期待される若手の公務員、教員達であり、オリエンテーションの場では、日本大使館担当職員から日本での留学に関する詳細な説明や注意事項が伝えられました。また、ミャンマー人の日本留学経験者からは日本の生活と勉強に関する自らの経験が披露されました。質疑応答のセッションでは参加者は活発に質問していました。留学予定者の殆どは外国に行くのは初めてであり、希望と同時に不安があると見受けられましたが、このオリエンテーションは不安を解消するのに役立ったと思われます。
引き続き行われた送別会では、野川日本大使、テットン・テットン・ミャンマー元日本留学生協会顧問ミャンマー元日本留学生協会顧問、ゾーテイ教育省高等教育局長によるはなむけの言葉が述べられ、アウンチョーミャンマー元日本留学生協会会長が乾杯の音頭をとりました。 留学生に対する激励の言葉に対し、外務省に勤務するチャンエイ氏が留学予定者を代表して感謝と決意の言葉を述べました。
日本政府の奨学金による留学制度は、1952年にスタートして以来、延べ800人以上のミャンマー人留学生を受け入れてきました。留学経験者達はいずれもミャンマー国内の主要な分野の指導的人材として活躍すると共に日本・ミャンマー国内の主要な分野の指導的人材として活躍すると共に、日本・ミャンマー間の貴重な架け橋となっています。
9月19日、ヤンゴン市内にて、国際交流基金及び在ミャンマー日本大使館共催の日本アニメに関する講演会が櫻井孝昌コンテンツメディアプロデューサーを講師として開催されました。 日本アニメは、今、世界中で大人気ですが、ミャンマーで紹介されるのは初めてです。櫻井講師は、日本アニメは、何故世界で受けたのか、その国際競争力の秘密をわかりやすく説明しました。また、同時に未来に向けたアニメ業界の動きも、映像を交えつつ解説しました。 会場には、若い日本のアニメファン、アニメーター、コンピューター業界関係者、日本語学校学生等、約460名の聴衆が集まり、大変な熱気に包まれました。 質疑応答のセッションでは、多くの参加者が櫻井講師に日本のアニメの現状について質問をし、講演後も講師との交流を楽しみました。 参加者は、「日本の最新のアニメの映像が見られて楽しかった。」、「日本のアニメーターから学んでミャンマーもよりよいアニメを作っていきたい」、「近い将来、このような講演会をまた是非開催してもらいたい。」等感想を述べました。 日本大使館としては、これからもアニメ等日本のポップカルチャーを幅広く紹介していきたいと考えています。
野川大使の式典参加(草の根人間の安全保障無償資金協力「チャウセー県チャウセー地区及びミッター地区(マンダレー管区)洪水被害農民救済計画」)
9月16日、野川大使はテー・ウー農業灌漑大臣と共に我が国政府が支援した草の根・人間の安全保障無償資金協力「チャウセー県チャウセー地区及びミッター地区(マンダレー管区)洪水被害農民救済計画」( Project for Provision of Machinery of Rehabilitation of Flood-Affected Farmers in Kyaukse and Myit Thar Townships in Kyaukse District in Mandalay Division )に関する農業機械の引渡式典に出席しました。 この支援は、06年の9月から10月まで降り続いた長雨により被害を受けたミャンマー中部のチャウセー県の農地復旧のため、18万米ドルの資金供与をマンダレー管区農業調整委員会( Mandalay Division Agriculture Coordination Committee )に対して実施したものであり、この供与した資金により、バックホー4台、散布機580台、及び刈取り機9台が購入されました。 式典においては、野川大使がテー・ウー農業灌漑大臣に農業機械の目録書を渡すとともに、テー・ウー農業灌漑大臣から野川大使に感謝状が贈られました。
最近2名のミャンマー青年が東アジア青少年大交流計画の下、日本に招聘されました。
ミャンマー商工会議所の事務局員であるキン・ティダ・ウィンさんは7月17日から27日まで訪日し、「アジア・大洋州地域における「ヒト」の移動:送出国 - 受入国及び当事者自身の利益を目指して」という課題について、他の東アジア諸国の参加者達と共に研修を受けました。
また、ミャンマータイムズの記者であるタン・タイク・ウーさんは、7月29日から8月7日まで訪日し、「文化を生かしたまちづくり~創造都市の可能性~」のテーマの下、日本における代表的な創造都市といえる横浜・金沢・京都での取り組みや巨大都市、東京、大阪における創造性を生かした都市再生の現場を視察し、アジアの都市の将来的方向性を検討しました。
東アジア青少年大交流計画は、若い世代の相互理解の促進を通じて、東アジア地域の一体感を醸成することを目的として、日本の安倍総理(当時)が2007年1月に東アジア首脳会議において発表したものです。本計画の予算は350億円規模であり、5年間に主に東アジア首脳会議メンバー国から6 , 000人程度の青少年が日本に招聘されることになっています。
8月23日、ヤンゴンの日本大使館にて、24日、マンダレーHITOセンターにてミャンマーの日本語教師を対象に国際交流基金の協力により日本語教師研修会を行いました。 今回の研修会は、今年2月の研修会に続き、タイの国際交流基金バンコク日本文化センター日本語部より儀満敏彦主任講師を招き、ヤンゴンで74名、マンダレーで24名、計98名の日本語教師が研修会に参加しました。 研修会では、「総合的日本語教育の可能性」と題して、2月の研修会の復習から特に授業の進め方について、参加者が4~5名1グループを作りディスカッション方式で研修が行われました。 研修に参加した日本語教師の方々からは、「教授法について良い勉強になった。」、「授業の進め方について、準備や授業時間の割り振りの重要性がよくわかった。」、「他校の教師と意見交換ができ、新たな知識が増えた。」、「日本語教師を対象とした研修会は、この研修会だけなので年に2回程度開催してほしい。」などの感想が寄せられたように、今回の研修会も2月に続いて当地の日本語教師にとって意義のある研修会だったようです。 日本大使館としては、今後もこうした日本語教師研修会を継続的に実施し、ミャンマーでの日本語教育のレベルと日本語の普及に努めていきます。
9月9日、10日の両日、ミャンマー柔道連盟と日本大使館共催、ヤンゴン日本人商工会議所協賛によりジャパン・カップ柔道大会がヤンゴン市アウンサン競技場体育館にて開催されました。第5回目となる今年の大会では、ミャンマー各省庁の実業団及びザガイン管区や南シャン州、ヤカイン州からの代表チームなど合計10チームが参加し、男子84名、女子33名、合計117名によりジャパンカップ優勝杯争奪の熱戦が繰り広げられました。 今年の大会では、ミャンマー建設省実業団チームが優勝し、2008年ジャパンカップ杯を獲得しました。また、10日の表彰式では、野川大使よりジャパンカップ優勝杯を授与された他、協賛団体のヤンゴン日本人商工会議所矢野副会頭から最優秀選手男女2名にトロフィーと21インチ型テレビが授与されました。 本大会は、ミャンマーにおける柔道振興を通じた日本とミャンマーのスポーツ交流を目的に、日ASEAN交流年の2003年より開催された交流事業で、全国から多くのミャンマー柔道家が参加する大会です。 本大会で男子最優秀選手に選ばれたトゥヤ・ゾーさんは、「これまで最優秀選手賞を2度獲得したことがありますが、こんな豪華な賞品をもらうのは初めてです。今回の大会を機会にミャンマー代表選手になれるよう頑張りたいと思います。」と、また女子最優秀選手になったエイ・エイ・アウンさんは、「今回賞品を提供していただいた日本大使館とヤンゴン日本人商工会議所にとても感謝しています。2007年の東南アジア競技大会で金メダルを取ることができましたが、今回の大会で最優秀選手賞を獲得できたことで、2009年の東南アジア競技大会でまたメダルが獲得できるように頑張りたい気持ちが更に高まりました。」とのコメントを述べているように、本大会は柔道家の意欲向上に繋がっているようです。 来年のジャパンカップ柔道大会は、日メコン交流年事業としてより盛大に開催し、ミャンマーにおける日本の伝統スポーツの普及を通じて、日本とミャンマーの友好関係の更なる発展に繋がることが期待されます。 (
21世紀東アジア青少年大交流計画・東アジア日本語履修大学生研修
ミャンマー人の日本学習者5名が21世紀東アジア青少年大交流計画の日本語履修大学生研修に参加するため、6月11日から7月23日の約6週間日本を訪れました。参加者はそれぞれヤンゴン外国語大学やマンダレー外国語大学、民間日本語学校マンダレー HITOセンターやNORIKIで日本語を学ぶウィン・ウィン・カインさん、フニン・ナンダー・コさん、タイッ・タイッ・トエさん、ケイ・ズィン・ウィンさんとアウン・イェ・トゥさんの若者5名です。 今回の研修には、ミャンマーからだけではなく、カンボジア、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、シンガポール及びニュージーランドからの日本語学習者30名が参加しました。今回の研修で参加者達は国際交流基金関西国際センターでより本格的な日本語を学ぶと共に、ホームステイや東京、大阪、京都・広島等の訪問、日本の大学生との交流等、内容の充実した研修を受けました。 参加した日本語学習者達は、今回の研修について次のように感想を話してくれました。 「6週間の研修はどれも良い内容で大変貴重な経験になりました。他の国の日本語学習者とも交流することができたことも良かったと思います。」 「グループに分かれ外出をするプログラムの時に道に迷ったので、日本語で日本人に道を尋ねたりしました。こういう経験は本国ではできないのでとても良い経験になりました。また道を案内してくれる日本人はとても親切だと感じました。」 「はじめ日本人は外国人に対して少し冷たいと思っていましたが、実際に日本人の大学生と話してみると、とても親しみ易い感じを受けました。今回の研修で日本人の大学生やホームステイのホストファミリーとも友達になることができました。」
この大交流計画では、今後4年間こうした日本語学習者を含む若者達を日本に招聘し青少年交流を深めていく予定です。
21世紀東アジア青少年大交流計画・東アジア日本語教師特別招聘プログラム
民間日本語学校「明道学園」のミャンマー人日本語教師トゥヤ・チョーさんとダンマラッキタ僧院の日本語教師テインギー・アウンさんが21世紀東アジア青少年大交流計画日本語教師特別招聘プログラムに参加するため、5月8日から7月18日の約2ヵ月半日本を訪れました。 今回のプログラムには、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、インドネシア、マレーシア、フィリピン及びインド等からの日本語教師40名が参加しました。今回のプログラムで参加者は埼玉県の国際交流基金日本語国際センターで日本語の教授法を学ぶだけでなく、生け花、茶道、折り紙等の日本文化体験、相撲観戦や歌舞伎鑑賞、更にホームステイや東京、大阪、京都、奈良、広島等の訪問、日本の小学校訪問、大学生との交流等多くのことを経験しました。 参加した日本語教師は、今回のプログラムについて次のように感想を話してくれました。 「毎日充実したプログラムで2ヵ月以上日本語だけの環境で色々な経験をさせて頂きました。日本語の教え方はもちろん、相撲や歌舞伎を実際に観ることができ、またホームステイでは日本人の生活ぶりを学ぶことができました。ホストファミリーの家族は新聞の読み方なども教えてくれました。今回学んだ教授法や経験を他の日本語教師にも教えてあげたいと思います。」 「生け花や茶道などの日本文化を学び、更に日本人の家庭で実際にホームステイが体験できたことはとても良い経験になりました。また、日本に行く前の印象では日本はビルや住宅しかないと思っていたのですが、奈良や京都にはまだまだ緑がたくさんあるので驚きました。日本で見て体験したことを生徒にも話してあげたいと思います。」
21世紀東アジア青少年大交流計画/東アジア次世代リーダープロガラム 環境NGO勤務の4名青年訪日
4名のミャンマーの環境NGO勤務の青年が21世紀東アジア青少年大交流計画/東アジア次世代リーダープログラムに参加するため、6月3日から16日まで訪日しました。
NGO連携無償資金協力によるミンター・ミョー・ウー僧院付属小中学校の開校式典
日本政府は、平成19年(2007年)11月8日、特定非営利活動法人「南東アジア交流協会」がNGO連携無償資金協力により実施する「ヤンゴン管区南オカラッパ地区におけるミンター・ミョー・ウー僧院付属小中学校建設計画」に対し、約900万円の資金協力を行いました。 その後、南東アジア交流協会が僧院運営委員会及び学校建設委員会らと協力して同学校の建設を進め、本年6月26日、同校の開校式典が盛大に開催されました。 ミンター・ミョー・ウー僧院では、公立学校に通うことができない貧しい家庭の子供たちのため、無料で授業を行っているほか、約30名の孤児を引き取り生活の面倒を見ています。これら僧院の取り組みは地域の評価が高く、僧院学校への入学希望も高いのですが、教室が不足しているため、入学がかなわない児童が多くいました。 今般、新しい校舎の完成により、学習環境が大きく改善され、子供たちの学習効果の向上が期待されます。また、新校舎は10教室を有し、新たに180名の待機児童を受け入れることが可能になり、地域の子供たちの教育機会の増大に寄与することになります。
日本政府は、平成19年(2007年)11月8日、特定非営利活動法人「地球市民の会」がNGO連携無償資金協力により実施する「シャン州タウンジー郡におけるハムシー高等学校寮改築事業」に対し、約2千万円の資金協力を行いました。その後、地球市民の会が地元住民らと協力し同施設の建設を進め、本年6月10日、同施設の完成式典が行われました。式典には当館より吉村藤謙書記官、地球市民の会より柴田京子プロジェクト・マネージャー、ミャンマー側よりウ・アウン・カム・ティ・シャン州第6特別区代表を初め多数の関係者が出席しました。 ハムシー高等学校には小学生から高校生(1年生から10年生)まで約500人が学んでおり、約150名が寮生活を送っていました。周辺地域の村々には中学校・高校がないため、寮の人数制限により入寮できない生徒や、徒歩通学ができない遠方の生徒は、中学・高校への進学を諦めざるをえませんでした。また、既存の寮は老朽化が著しく、雨漏りがしたり、標高1500mに位置するため、冬には冷たい隙間風が吹き込むなど、子供達は劣悪な環境下での生活を強いられていました。 今般、新しい寮の完成により、生徒の受入キャパシティが増加し、一人当たりの居住スペースも2倍程度に増えるなど、寮の生活環境が大きく改善しました。新寮では寮生により1日3回の清掃がおこなわれているとのことで、寮を大切に使用している様子が伺われました。また、新寮の完成により全校生徒が600名以上に増え、これにより、ハムシー高校は、これまでの「高等分室」から「高等分校」へと昇格しました。これまでは在籍する教師の一部を村民負担により雇用していましたが、昇格により、全ての教師がミャンマー政府の負担により派遣されることとなりました。なお、今回実施された新寮の完成式典とあわせて、高等分校への昇格式典も実施され、村民の高い教育意識と昇格に対する大きな喜びが伺えました。 今回の協力は、新しい寮を整備することにより、周辺村落の子供達に対する教育機会を増大させ、地域の教育の向上に資する事業であり、日本政府は、これからも地域住民に直接裨益する事業を支援していきます。(了)
6月24日、ヤンゴン市内にあるミャンマー商工会議所トレーニングセンターにおいて、平成20年度国際交流基金日本語教材寄贈プログラムにより同トレーニングセンター内の光益日本語学校に日本語教材が寄贈されました。日本語教材の引渡式では在ミャンマー日本大使館徳一等書記官、ミャンマー商工会議所セイン・ウィン・フライン総書記及び同日本語学校の木下校長らが出席し、光益日本語学校に対して徳書記官から日本語教材が引き渡されました。
これまで国際交流基金は当地の日本語教育の発展のために、日本語教材寄贈プログラムによりミャンマーの国立大学や民間の日本語学校に対し、日本語教材を寄贈してきました。今回寄贈された日本語教材は29冊あり、今後同日本語学校の日本教育の場で大いに活用され、当地の日本語学習の発展促進に役立つことと期待されます。
6月1日にヤンゴン市内のホテルにて開催された2008年日本語スピーチコンテストと併せて、今年3月1日にヤンゴンとマンダレー両都市で日本大使館主催、ヤンゴン日本人商工会議所協賛、ミャンマー元日本留学生協会協力により開催された第3回日本文学翻訳コンテストの表彰式が行われました。
日本文学翻訳コンテストは日本文学の紹介及び日本語の読解力向上を目的に開催されたものです。本コンテストでは初級、中級、上級と3つにレベルを分け、それぞれ自分の日本語能力に適した作品を参加者が翻訳しました。今年の翻訳作品は、初級は楠山正雄の「花咲かじじい」、中級は新美南吉の「ごんぎつね」、上級は太宰治の「走れメロス」で、ヤンゴンから101名、マンダレーから71名の日本語学習者が今回のコンテストに参加しました。
上級第1位受賞者は「今回の翻訳コンテストに初めて参加しました。入賞することが目的ではなく、自分の実力を試したかったので参加してみました。今回上級1位に入賞できたのは、日本語の小説等を普段から読む習慣があったからだと思います。コンテスト当日は、日本語を読みやすい自然なミャンマー語に翻訳することがとても難しかったです。最終的に1位受賞でき、29インチ型テレビとDVDプレーヤーまで頂き大変嬉しいです。」と感想を述べていました。
他の参加者からは「 とても難しかったけれど、良い経験になりました 。 出題された小説や物語そのものも非常に興味深い内容でした。 」、「 自分の日本語とミャンマー語の能力を試す良い機会となった。 」「 日本語が理解できてもミャンマー語に言い換えることがこんなに難しいとは思わなかった。 」などの感想が寄せられました。このように日本文学翻訳コンテストは日本語学習者にとって非常に難しいコンテストであるにもかかわらず、年々申請者数が増加しています。これは、ミャンマーの日本語学習者が日本文学に興味を示すようになったことの表れだと言えるでしょう。
表彰式の後には、今回審査員長を務めたミャンマー元日本留学生協会テッ・トン顧問に本コンテストが始まって以来の過去3年間を振り返り、本コンテストの講評を頂きました。
日本大使館では、日本文学翻訳コンテストのように今後も日本語学習者の学習目標となるような行事を企画し、日本語の能力の更なる向上に向けた支援を行っていく予定です。
【受賞者】
上級1位:キン・ミャ・ミャ 2位:チー・メー・ルイン 3位:スエ・ズィン・ユ
中級1位:カイン・ス・リン 2位:フニン・ナンダー・コ 3位:ミャッ・テッ・モン
初級1位:ミャッ・ミャッ・ズィン 2位:エー・ミャ・ミャ・モー 3位:イー・イー・カイン
6月1日にヤンゴン市内ホテルにおいて、日本大使館とミャンマー元日本留学生協会共催、ヤンゴン日本人商工会議所協賛により2008年日本語スピーチコンテストが開催され、約270名の聴衆が来場しました。
日本語スピーチコンテストはヤンゴンでは今回で9回目となる毎年恒例の行事です。今年は全国から32名の日本語学習者から応募があり、第一次予選を通過した15名の参加者がスピーチを行いました。本コンテストは例年同様自由課題で、発表内容は例年多く見られる日本語や環境問題に関する内容ではなく、自分の経験を元に話す独創性のあるユニークなスピーチが多かったです。また、質疑応答のセッションでは、審査員は緊張する参加者達に笑いなどを混ぜ質問をし、会場を盛り上げました。その他に、今年も協賛団体ヤンゴン日本人商工会議所より第1位入賞者への賞品29インチ型テレビとDVDプレーヤーが寄付され、また共催団体などからも豪華な賞品の寄付があったため、授賞式は例年以上に盛大に行われました。
1位受賞者のモー・モー・カインさんはコンテスト終了後のインタビューで以下のように答えてくれました。 「今回発表したスピーチの内容は以前からみんなに聞いてもらいたいと思っていたことについて話しました。スピーチコンテストには一度も参加したことはなかったのですが、今回私の経験や考えを大勢の前で話すことができて嬉しいです。」 「敢闘賞、3位、2位と受賞者が発表された時、自分の名前がなかったのでもう入賞はできないと思いました。1位が発表された時に自分の名前を呼ばれた時は、嬉しいというよりも驚きました。授賞式が終わって直ぐに親に電話で伝えました。今でも夢を見ているのではないかと思っています。賞品に29インチ型テレビと DVDプレーヤーも頂き本当に幸せです。」 「将来は日本に留学して、経営学を学び、立派な経営者になりたいと思います。」
なお、1位受賞者には9月に2週間日本で行われる国際交流基金日本語学習者訪日研修プログラムの参加候補者になる権利も併せて与えられました。
他の発表者からも「今回は受賞者には選ばれなかったけれども、大勢の人の前でスピーチをしてとても自信になりました。来年また挑戦します。」、「他の参加者のスピーチが本当に良かったので、良い勉強になりました。」と述べていました。審査員の一人は「どのスピーチも素晴らしく、昨年以上に接戦でした。年々レベルが高くなっていると思います。特に今年はヤンゴンからの参加者のレベルが上がったと思います。」と今年のコンテストの感想を述べていました。
第一位:モー・モー・カイン 題目:私の将来 第二位:テッ・テッ・フライン 題目:あと一分 第三位:イー・モン・ミョー・テイン 題目:日常生活とプライバシー 敢闘賞:チッ・ピョー・ナイン 題目:僕らの将来
3月4日、野川大使はシャン州コーカン特別区ラオカイ市を訪問し、昨年8月に我が国が113万ドルの支援を行ったWFPの「脆弱者支援事業(Food Assistance to vulnerable families in Myanmar)」に関する米の現地引渡式典に出席しました。
また、野川大使はJICAがこの地域で実施している麻薬撲滅に資するプロジェクトの現地視察を行った他、ポーチャーシン同特別区主席と懇談を行いました。
在ミャンマー日本大使館と国際交流金の共催、ミャンマー情報省の協力により、ヤンゴン市タマダ映画館にて1月23日から26日、マンダレー市ウィンライト映画館にて2月25日から28日、各都市4日間、今年で第9回目になる毎年恒例の2008年日本映画祭が開催されました。 2月21日のヤンゴン初日のオープニングセレモニーでは、野川保晶大使とテイン・トン・アウン映画庁課長より挨拶がありました。 今年は、両都市で日本映画界の代表的存在である山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」が初日と最終日に上映され、2日目には役所広司主演の「どら平太」、3日目には北野武が監督・脚本をした「菊次郎の夏」がそれぞれ上映されました。 観客からは「久しぶりに日本の時代劇を堪能できた。」、「毎年欠かさず観に来ています。今年も十分に楽しませてもらいました。」、「特に「菊次郎の夏」はユーモアがあり、また主演の北野武の演技はとても滑稽で面白かった。」などと好評であったように、ミャンマーの人々は毎年恒例の日本映画を楽しみにしており、今回の映画祭でも楽しんでいた様子でした。 日本大使館としては、今後もミャンマーの人々に日本映画を通して日本の文化や歴史など日本を紹介していく予定です。
2月23日、ヤンゴンの日本大使館にて、24日、マンダレーHITOセンターにてミャンマーの日本語教師を対象に国際交流基金の協力により日本語教師研修会を昨年に続き行いました。 今回の研修会では、タイの国際交流基金バンコク日本文化センター日本語部より儀満敏彦主任講師を招き、ヤンゴンで約80名、マンダレーで約30名、計約110名の日本語教師が研修会に参加しました。 研修会では、「相互交流を通して、初級教材について考える」と題して、特に初級学習者に対する教材の作成方法や教授法について、参加者が4~5名1グループを作りディスカッション方式で研修が行われました。 研修に参加した日本語教師の方々からは、「非常に勉強になった。」、「今までに考えたこともない教材作りの方法や教授法を学ぶことができた。」、「他校の教師と経験や教え方について話し合う良い機会となった。」、「ディスカッションをしながら、考えていくというやり方が非常に新鮮だった。」、「是非来年も実施してほしい。」などの感想が寄せられたように、当地の日本語教師にとって大変有意義な研修会になったようです。 日本大使館としては、今後もこうした日本語教師研修会を実施し、ミャンマーでの日本語学習レベルの向上や日本語の普及に努めていきます。
最近、ミャンマーでは日本語学習者の数が急増しており、それに伴い日本の大学・大学院への留学希望者の数も増加しています。
2月16日、ヤンゴンにおいて日本大使館主催、ミャンマー元日本留学生協会の協力により、日本音楽のコンサートが開催されました。 300人以上の観客がミャンマー青年による日本音楽の合唱という貴重な機会を楽しみました。観客は、彼らの日本語の発音が素晴らしいことに驚いていました。合唱団のメンバーは日本の歌を集中的に練習し、短期間で上達しました。 コンサートの後、合唱団のメンバーは初めて日本語で歌った経験について、「日本音楽のメロディーが気に入った。日本の歌を歌うことによって日本そのものについて知りたくなった。浴衣や法被を着て歌ったのも楽しかった。」と述べました。
帰国留学生の会が、野川保晶日本大使主催により、1月10日、ヤンゴンにて、1月21日、ネーピードーにて開催されました。ヤンゴンでは約60名、ネーピードーでは約20名の元留学生と政府関係者が出席しました。
両方の会合において、野川大使は歓迎のスピーチの中で、日本がミャンマーの人材開発を重視しており、1952年以来800人以上のミャンマー人が奨学金を得て留学している旨紹介しました。また、大使は、ミャンマー元日本留学生協会(MAJA)が日本とミャンマーの友好関係促進に尽力していることに感謝するとともに、日本の文化と日本語を学んだ元留学生達は日本とミャンマーの貴重な架け橋になることができると述べました。
MAJA顧問であるテットン大使は、ミャンマー人の留学の歴史を統計も交え詳しく紹介しました。アウンチョーMAJA会長は、日本留学の重要性を強調するとともに、ミャンマーに帰国後の元留学生の責任について語りました。
会合において、元留学生は日本留学は大変貴重な経験であったと口々に述べていました。日本滞在中、彼らは日本人の友人と大いにつきあい、日本食、国内旅行、スキー等を楽しんだと語っていました。多くの元留学生はこれからも日本と関わっていきたいとし、元留学生同士の間のネットワークづくりのためこのような同窓会は有用であると述べていたように今回の会は、元留学生にとって有意義なものでした。
元留学生の多くは、ミャンマー帰国後、日本で得た専門知識を活かして各々の分野で活躍しています。また、MAJAの活動に積極的に参加することにより日本とミャンマーの友情・相互理解の促進にも貢献しています。
12月17日にヤンゴン市内ホテルにて、国際交流基金ジャカルタ日本文化センターの協力により、インドネシアから来られた日本人漫画家・前山まち子専門家による日本漫画紹介レクチャー・デモンストレーション及び漫画の描き方を実際に教えるワークショップを行いました。
講演会には、日本語学習者や漫画愛好家など一般市民300名以上の観客が会場に足を運びました。レクチャーでは、前山まち子専門家が日本漫画の歴史や特徴などをパワーポイントなどで分かり易く説明され、その後のデモンストレーションでは日本の漫画の様々な技術を披露しましたが、何れも大好評でした。
ワークショップでは、ミャンマー人漫画家を含む約30名の漫画愛好家が参加し、前山専門家より漫画の描き方に関する手法などがきめ細かく指導されました。また、ミャンマー人の漫画家もそれぞれ漫画を描きミャンマーの漫画技術を披露するなど、漫画を通しての日本・ミャンマー二国間文化交流が行われました。
聴衆からは「日本の漫画が世界各国で翻訳されていることには驚いた。」、「日本でこんなに沢山の漫画雑誌が出版されていることは全く知らなかった。」「ミャンマーでは漫画家は男性ばかりだけど、日本では女性の漫画家が活躍していることは興味深い。」と述べ、日本の漫画事情を初めて知り大変驚いていた様子でした。
日本大使館では、日本の伝統文化だけでなく、今後も日本漫画、日本アニメ等の日本のポップカルチャーを紹介する事業も実施していく予定です。
12月15日にヤンゴン市内ホテルにおいて、日本大使館とミャンマー元日本留学生協会共催、ヤンゴン日本人商工会議所協賛により2007年日本語スピーチコンテストが開催され、約250名の聴衆が来場しました。
日本語スピーチコンテストはヤンゴンでは今回で8回目となり、昨年からは全国大会としてヤンゴンのみで開催している毎年恒例の行事です。今年は全国から31名の日本語学習者から応募があり、第一次予選を通過した18名の参加者がスピーチを行いました。本コンテストは例年同様自由課題で、発表内容としては日本語そのものに関するスピーチもありましたが、自分の人生観から地球温暖化等の環境問題と内容は多岐に亘り、聴衆は参加者の日本語のレベルの高さに驚かされていました。また、質疑応答のセッションでは、審査員のユーモア溢れる質問に発表者や会場から笑いがでるなど大好評でした。その他にも、今年からは当地のヤンゴン日本人商工会議所より協賛団体として第1位入賞者への賞品25インチ型テレビとDVDプレーヤーが寄付され、授賞式で第1位の賞品が発表されると会場内には歓声がわきました。
1位受賞者のウェ・ピョー・ナインさんは当館のインタビューで以下のように答えてくれました。 「今回は現在の社会を脅かす地球温暖化や環境問題について発表したかったので、「おろかな人間」という題目で発表しました。」 「昨年、このコンテストに参加したのですが残念ながら特別賞だったので、今年は必ず1位になろうと猛練習をしてきました。1位になれてとても嬉しいです。おまけに賞品が25インチ型テレビと DVDプレーヤーだったので嬉しさは格別です。」 「今後は日本で政治経済を勉強するために日本の大学に留学できるよう努力していきたいと思います。」
他の発表者からも「受賞者には選ばれなかったけれども、他の参加者のスピーチがとても良かったので感動しました。」と述べていました。審査員の一人は「参加者の日本語能力が想像以上に高かったので驚くと共に感動しました。」と今年の参加者のレベルの高さに驚いていたようです。
第一位:ウェ・ピョー・ナイン 題目:おろかな人間 第二位:ケイ・ズィン・ウィン 題目:かけがえのない体験 第三位:ヤン・ナイン・ミィン 題目:大切にしていきたいもの 特別賞:アウン・イェ・トゥ 題目:きれいな地球 特別賞:フニン・ナンダー・コ 題目:忘れられない一日
昨年3月10日にヤンゴンとマンダレー両都市で日本大使館主催、ヤンゴン日本人商工会議所協賛、ミャンマー元日本留学生協会協力により開催された第2回日本文学翻訳コンテストの表彰式が12月15日にヤンゴン市内のホテルにて開催された2007年日本語スピーチコンテストと併せて行われました。
日本文学翻訳コンテストは日本文学の紹介及び日本語の読解力向上を目的に開催されたものです。本コンテストでは初級、中級、上級と3つにレベルを分け、それぞれ自分の日本語能力に適した作品を参加者が翻訳しました。今年の翻訳作品は、初級は新美南吉の「あし」、「去年の木」、「飴だま」、中級は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、上級は芥川龍之介の「蜜柑」で、ヤンゴンから92名、マンダレーから93名の日本語学習者が今回のコンテストに参加しました。
上級第1位受賞者は「受賞するために参加した訳でなく、自分の実力を試すため、また翻訳に興味があったのでコンテストに挑戦してみました。結果的に受賞できて、とても自信がつきました。」と感想を述べていました。
他の参加者からは「普段勉強している日本語と大きく異なる日本語をじっくり読む良い機会になった。」、「日本語を母国語に翻訳する難しさを実感させられた。」などの感想が寄せられました。日本文学翻訳コンテストは、日本語学習者にとって新たな刺激となる貴重な機会となっているようです。
表彰式の後には、今回審査員長を務めたミャンマー元日本留学生協会テッ・トン前会長に本コンテストの講評を頂きました。
日本大使館では、日本文学翻訳コンテストだけでなく、日本語学習者の学習成果を試す機会として、日本語スピーチコンテストや日本語能力試験、日本留学試験などを行う傍ら、日本語のみならず、今後とも日本映画祭、日本音楽のコンサートなどの日本の文化を紹介する文化事業も実施する予定です。
【受賞者】 上級1位:ミィン・ミィン・テイン(受賞者の作品) 2位:チン・タン 3位:ティン・エイ・エイ・コ
中級1位:ティリ・ケイ・カイン(受賞者の作品) 2位:スエ・ズィン・ユ 3位:ゼーヤー・リン
初級1位:フニン・ナンダー・コ(受賞者の作品) 2位:トゥ・トゥ 3位:ピュー・ピュー・アウン
日本政府は2006年12月5日、草の根無償資金協力によりアウンザブ僧院付属中学校の校舎を建設するため、約7万9千米ドルの支援を行いました。2007年11月15日、同校舎の完成に伴う開所式が行われ、在ミャンマー日本国大使館より吉村藤謙書記官、ミャンマー側より、同僧院僧侶長ケートゥーマラー他が出席しました。式典では、同校の代表生徒より学校建設に対する我が国への謝辞が述べられました。
アウンザブ僧院付属中学校は、1993年より経済的理由などから学校に通学できない子どもたちを受け入れ、無料で授業を行っています。ミャンマーでは、このような僧院による学校教育が各地で行なわれており、貧しい子どもたちの教育レベルの向上に重要な役割を果たしています。今回、2階建て校舎、家具、トイレを支援したことにより、子どもたちの学習環境が改善されました。 日本政府は、これまでにもミャンマーにおいて150校以上の学校を建設するなど、教育分野における支援を実施しています。教育は国の発展に非常に重要であり、日本政府はこれからもより多くの子どもたちが教育を受けられるよう支援を続けていきます。
11月2日、野川保晶大使は、新首都ネーピードーにてタン・シュエSPDC議長に信任状を捧呈しました。
野川新大使の主な経歴は以下の通りです。
1973年4月に外務省に入省し、語学研修のためのフランスへの留学を経て、外務本省での勤務(広報、国連、経済協力、中近東アフリカ等を担当)、在外公館での勤務(イタリア、ザイール(現コンゴ民主共和国)の後、中近東アフリカ局アフリカ第一課長、在英国日本大使館参事官、在フランス日本大使館参事官、在インド大使館公使、中近東アフリカ局審議官、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部次席大使、在シドニー総領事、農畜産業振興機構理事等を務めました。
在ミャンマー日本大使館では、毎年最も優秀な日本語学習者を国際交流基金による日本での2週間の研修に派遣しています。今年は約60カ国から約65名の日本語成績優秀者が参加しました。2007年度の優秀者として選ばれたHITOセンターの学生であるトー・ズィン・ウーさんに今回の研修での経験についてインタビューしました。
問:日本に行く前と行った後で日本に対する印象はどのようにかわりましたか。 答:以前は本などで日本は産業の発達した国だと理解していました。しかし実際に行ってみると、産業だけでなく経済、教育、社会など全ての面で発展したとても秩序のある国だと感じました。
問:日本に行って最も気に入った場所はどこですか。 答:一番気に入った場所は広島市の平和記念資料館です。原爆の被害を見て、戦争に対して嫌悪の情を抱きました。もう一つは、宮島公園です。海岸沿いで景色がとても綺麗でした。沢山の鹿もいました。
問:研修で興味深かったプログラムについてお聞かせ下さい。 答:一泊二日のホームステイです。私が滞在した家には夫婦2人、息子1人、娘1人がいました。皆、私を家族の一員のように温かく受け入れてくれました。
問:他国の人達と日本語を話す機会がありましたか。どの国の人が、より日本語が上手でしたか。 答:話す機会がありました。日本では日本語能力試験のレベルでグループ分けされ、一級を合格している人は4名だけでした。私はブラジル、パラグアイ、ハンガリー等の学生と一緒のグループになりました。私の能力試験の得点は一番高かったのですが、ブラジルの学生の方が発音が上手でした。
問:日本語を勉強するミャンマーの学生に一言。 答:日本語能力試験を合格しただけで満足せず、常に勉強してください。日本語上達のために日本人とたくさん付き合ってください、カセットを聞いて練習してください、また日本文化や歴史も併せて勉強してくださいと言いたいです。 (了)
12名から成る日本の青年グループは、日本政府(内閣府)主催による青年交流事業の一環として9月初めより約3週間の日程でミャンマーを訪問しました。この訪問は2001年度より年1回毎年実施されているもので本年度で7回目になりますが、毎回10数名の20代を中心にした学生、社会人の日本人青年がミャンマーを訪れ現地の人々との交流と相互理解を促進する重要な機会となっています。 本年度も滞在期間中、一行は、今回の青年団は、「Chit Te Myanmar, Step for the Future(一瞬を一生に)」とのスローガンを掲げ、ヤンゴン、マンダレー、バガン及びタウンジーといった当国の主要都市を訪問しましたが、プログラムには小学校、社会福祉訓練学校、現地で活躍する日本のNGO訪問も含まれ、青年達は活発に質問を投げかけていました。 青年達は、ヤンゴン、バガン及びタウンジーの3ヶ所でミャンマー人一般家庭を訪問しましたが、ミャンマー人の温かいもてなしを受け、家庭料理を楽しみ、また、ある青年は、日本の歌と踊りを村人に教えて村全体で踊る等印象深い時を共に過ごしたとのことです。青年達を受け入れた一般家庭のミャンマー人は最後、空港まで青年団を見送りに来て、別れを惜しんでいたことからも、真の友情が培われたことがうかがわれます。
9月27日ヤンゴンにおいて、2007年度日本政府(文部科学省)奨学金により10月から日本の大学院等において留学する予定のミャンマー人青年に対するオリエンテーション及び送別会が日本大使館主催で開催されました。 参加した24名の留学予定者は、いずれも次代のミャンマーの国造りを担うことが期待される若手の公務員、研究者、教員達であり、オリエンテーションの場では、日本大使館担当職員から日本での留学に関する詳細な説明や注意事項が伝えられました。また、ミャンマー人の日本留学経験者からは日本の生活と勉強に関する自らの経験が披露されました。質疑応答では参加者から、日本語の勉強法、論文の執筆方法から飛行機の乗り方に至るまで幅広い質問がありました。留学予定者の殆どは外国に行くのは初めてであり、希望と同時に不安があると見受けられましたが、このオリエンテーションは不安を解消するのに役立ったと思われます。 引き続き行われた送別会では、テットン・ミャンマー元日本留学生協会顧問及びアウンチョー同協会会長、日本大使館関係者によるはなむけの言葉が述べられました。テットン顧問は、勉強も大事であるが、日本とミャンマーにはいろいろな面で大きな違いがある、留学生として日本とミャンマーの文化の違いを学ぶことが重要であると強調しました。アウンチョー会長は、留学生は日本とミャンマーの架け橋になることが重要であること、留学期間中に日本人の精神を是非学んで欲しいこと等述べました。これら激励の言葉に対し、外務省に勤務するポン・ミン・ウーが留学予定者を代表して感謝の言葉を述べました。 日本政府の奨学金による留学制度は、1952年にスタートして以来、延べ800人のミャンマー人留学生を受け入れてきました。留学経験者達はいずれもミャンマー国内の主要な分野の指導的人材として活躍すると共に、日本・ミャンマー間の貴重な架け橋となっています。
9月7日及び8日にヤンゴン市内にて、日本大使館・国際交流基金共催の「箏とフルートのコンサート」が開催されました。 バンコク在住の音楽家であるフルート奏者の松島寛(まつしま ひろし)氏、坪井紀子(つぼい のりこ)氏、鈴木 けい子氏は、伝統的な曲と現代的な曲の両方の演奏を通じ、日本音楽の美を完璧に表現しました。2日間で、約400名の観客が集まりましたが、彼らは、日本の伝統的な弦楽器である箏とフルートから流れ出る繊細かつ力強い響きを経験する貴重な機会を楽しみました。 「私は日本の伝統的なコンサートを一度も見たことがないです。今回が初めてです。私の心の中で一番残っているのは、「Midnight Rain」という箏の曲でした。この曲を聴いた途端に、箏の音の代わりに雨の音を聞きました。にわか雨、大雨、風の音、カミナリの音・・・いろいろな音がホテルの中で聞こえるのはコンサートに協力した人々のおかげです。日本の伝統的なコンサートを大好きになりました。」 コンサートの後で、聴衆は音楽家達と懇談の時間を持ちました。聴衆は、箏の演奏法、どのような楽譜を使っているのか、何年くらい練習すればプロになれるのか等多くの質問をしました。聴衆の中には、有名なミャンマー人の音楽家もいました。 今回のコンサートを通じ、音楽好きのミャンマー人が日本の音楽と楽器に関心を持ってくれるようになり、また、ミャンマー人と日本人が普遍的な言語である音楽を通じて直接的に心を通い合わせることができたと考えられます。
草の根無償資金協力によるミャンマー国立血液センター血液検査機材の引渡式
日本政府は平成 19 年 (2007 年 )1 月 16 日、草の根無償資金により国立血液センターに対して約7万7千米ドルの支援を行いました。本年 8 月 9 日、ミャンマー全土17の血液銀行に対する血液検査機材の整備に伴い、それらの引渡式が行われ、当館より小川参事官、ミャンマー側よりティン・ウィン・マウン保健省保健局長、ヌー・ヌー・ターヤンゴン総合病院医院長、ネー・ウィン国立保健検査所局長他が出席しました。
今般、日本政府の協力により全国17の各病院に 2 種類の血液検査機材が整備されることで、対象各地の血液検査体制の強化及びより安全な血液の供給が可能となります。
日本政府は保健環境の整備は国の発展と人々の生活向上に欠かせないものであることから、ミャンマーに対する医療分野の協力に力を入れています。今回の支援により当国における保健サービスの改善、またミャンマーと日本の更なる友好関係の発展が期待されています。 (2007 年 8 月 9 日 )
平成19年度無償資金協力「人材育成奨学計画」及び「中央乾燥地植林計画」
日本政府は、ミャンマー政府に対し、平成19年度無償資金協力「人材育成奨学計画 (4.07 億円 ) 」及び「中央乾燥地植林計画」 (0.61 億円 ) 」、計 4.68 億円の無償資金協力を行うことを決定し、6月28日、当館小田野大使と国家計画経済開発省ソー・ター大臣との間で E/N 交換公文署名を行いました。
人材育成奨学計画は、ミャンマーの若手政府職員や NGO 職員に対し、日本の大学への留学機会を提供するもので、今年度を含め、これまでに 133 名の若者が日本の大学の修士課程に留学しました。そのうち既に 55 名が帰国し、ミャンマー政府内等で活躍しています。 中央乾燥地植林計画は、ミャンマー中部の乾燥地帯において植林事業を 2002 年度より実施しており、緑化を通じて自然環境の回復と地域住民への生活資源供給を目的としたモデル植林地として 1500ha の植林造成を行っています。
署名式典において、ソー・ター大臣より、「日本政府より、人材育成奨学計画として、これまでに 20 億円以上の支援が実施され、将来のミャンマーの国造りを担う政府若手職員等の能力向上に大きく貢献している。また、中央乾燥地植林計画としてこれまでに約 14 億円の支援が実施され、中央乾燥地帯の緑化、森林資源の確保による地域住民の生活向上、さらには世界的関心事となっている地球温暖化の防止にも貢献している。」と感謝の言葉がありました。
日本政府は今後もミャンマーの民主化を担う人材育成や、住民の生活向上に資する支援を行っていく考えです。
草の根無償資金協力によるシャン州ナテイ。パツサン間道路安全対策及びカマイ村橋梁完成式典
日本政府は平成18年 (2006 年 ) 11月22日、タイとの国境に位置するシャン州において、草の根無償資金協力によりナティ・パッサン間道路 ( 全長 44km) の安全対策と橋梁改築 (2 橋 ) のため約7万3千ドルの支援を行いました。本年 6 月 5 日、同施設の完成式典が行われ、当館から小田野大使、ミャンマー側から北シャン州平和発展協議会ソー・ミン書記等多くの関係者や村民が出席しました。
シャン州北部のラショー市からコーカン特別自治区へ抜ける既存道路は、急峻な山岳道路のため車両通行は困難で危険を伴うものでした。そこで、一部危険区間(44km)について安全対策のためガードポストを6,000本設置し、さらに老朽化した既存橋梁2本の改築を行いました。これにより、同道路を通行する人々の安全が確保されることになり、交通量の増大も期待されます。
今回の協力は、地域住民の生活基盤に直接作用し、中長期的には地域の活性化も期待される裨益効果の高い案件であり、日本政府は今後ともこのような支援を続けていきます。
5月14日、バングラデシュ国境のラカイン州を襲ったサイクロン「 AKASH 」により、同州シットウェ地区、チャオピュー地区において、死者14名、行方不明者15名、被災家屋2000戸以上、被災者1万人の被害が発生しました。
5月29日のミャンマー政府からの援助要請を受け、6月5日、日本政府はテント、毛布等総額約1千万円の緊急物資支援を行いました。 6月14日、首都ネーピードーにおいて、当館矢間書記官とタン・ウー社会福祉・救済復興省救済復興局長による緊急物資引き渡し式が行われました。同式典においてミャンマー側より、日本国民及び日本政府に対する今回の迅速な支援への感謝が述べられました。
ミャンマー政府が今回の災害において緊急支援を要請した国は日本のみであり、このことは、これまでに培われてきた両国の友好関係の深さと日本への強い信頼を表しています。
日本政府は、海外における大規模災害に際し、今回のような緊急物資支援の他に、国際緊急援助隊の派遣等、被災者へ迅速な支援が行えるよう常に準備をしています。
日本政府は平成18年 (2006 年 )1 月 16 日、カレン州ヤテピャン村に対し、草の根無償資金協力により地域附属保健所建設のため約1万8千ドルの支援を行い、同施設の建設を進めてきました。本年5月24日、同施設の開所式が行われ、当館より吉村書記官、ミャンマー側よりテイ・ナウン州保健局長を初め多数の関係者と村民が出席しました。
これまで、同村を含む12村(人口約7千人、1,398世帯)には医療施設がなく、助産師による循環診療に頼っており、助産師が他の村を巡回して不在の場合には、伝統医療師に頼るか遠方の病院まで自力で移動するしかありませんでした。
今般、同施設の完成により、常勤の助産師の派遣が州保険局との間で約束されており、同村を含む12村の住民は、同施設において迅速で適切な診療、予防接種、出産補助を受けることが可能となりました。
今回の協力は、適切な医療を受ける機会が少ない農村地域の医療サービスの向上を目的としたものであり、日本政府は、これからもより多くの貧困層の患者に医療サービスが提供されるよう支援を続けていきます。
無償資金協力「人材育成奨学計画」第3回留学生帰国報告会の開催
5 月 18 日、ヤンゴンにて、無償資金協力「人材育成奨学計画」における第3回留学生帰国報告会が開催されました。また、本報告会には今年度留学予定の若手ミャンマー政府職員・NGO職員も招待されました。
報告会では、修士課程を修了した若手のミャンマー政府職員の代表者5名が、それぞれ法律、経済、経営、情報通信、農業の5分野について、日本の大学で取り組んだ研究の成果を発表しました。その中には、途上国の地方エリアの成長に不可欠な安全な飲み水の供給プロジェクトの実現可能性を研究したものや、また、ミャンマーにおける重要産業の一つであるホテル産業について、ホテル経営者と宿泊客等への聞き取り調査を元に、ユーザーの様々な要求を満たすための異なるタイプのホテルサービスの必要性等、ホテル経営戦略の重要性についての研究がありました。 こうしたミャンマーの自立的発展に不可欠な分野について見識を深めたら彼らには、今後のミャンマーの国造りにおいて重要な役割を担うことが期待されます。 また、各プレゼンテーションの後に設けられた質疑応答の時間には次期留学予定者から活発な質問があり、次期留学予定者にとって日本の情報を得る貴重な機会になりました。
2001 年度より開始された当事業により、これまで 103 名のミャンマー政府・NGO職員等が日本の大学に留学し、現在留学中の 48 名を除く 55 名が修士号を取得しました。現在、帰国した留学生の多くはそれぞれの職場で大いに活躍するとともに、日本・ミャンマー間の貴重な架け橋となっています。
5月30日及び31日にヤンゴン市内にて、日本大使館・国際交流基金共催の生け花デモンストレーションが開催されました。
華道家元池坊特別派遣教授である笹山安文(ささやま やすふみ)氏と石渡雅史(いしわた まさふみ)氏の両名は、古典的スタイルとフリースタイルの両方の生け花を生けることにより、「生け花」という日本の伝統文化の美を披露しました。2日間で、約400名の観客が集まりましたが、若くてダイナミックな教授は生け花のみならず、興味深くかつ刺激的なトークによっても観客を魅了しました。
デモンストレーションの後、ワークショップにおいて、関心を持った参加者は両教授の指導の下、生け花を実際に体験する機会を得ました。老若男女約80名が自分自身の生け花を生けようとベストを尽くしました。
参加者の中からは次のような感想が述べられていました。 「枯れた葉っぱ、枝まで使用して、新たな美を造り出すことに感激した。」 「生け花は、西洋やミャンマーのフラワーアレンジメントと全然違うと思った。西洋 のフラワーアレンジメントでは、沢山花を使った方が豪華で良いとみなされるのに、 生け花では数少ない花で簡素な美を造り出す。その点に特に魅力を感じた。」 「ヤンゴンで是非生け花レッスンを受講したい。」
今回の生け花デモンストレーションは、参加者が単に花の生け方のみならず、生け花の背景にある独特の日本人の物の考え方や美意識にまで関心をもって頂いたことで大変有意義な日本・ミャンマー両国の文化交流が実施できました。
1.2007年3月17日、シャン州の州立ラショー総合病院において、日本政府の草の根資金協力による医療機材の引渡し式典が行われました。式典には小田野大使の他、フラ・ミン北東軍管区司令官、キン・マウン・ワ病院長他が出席しました。
2.式典においては、小田野大使から日本政府はミャンマーの保健医療分野の状況改善に力を入れて協力していること等を説明するスピーチを行い、キン・マウン・ワ病院長よりは、日本政府が寄贈した医療機材を有効に活用していきたい旨述べつつ、今回の寄贈への感謝の言葉が述べられました。
3.今回州立ラショー総合病院に供与した機材は、殺菌装置、人工呼吸器、酸素濃縮器など27種。総額約5万7000ドルになります。
4.州立ラショー総合病院は、北シャン州最大の総合病院であり、毎年8万5000人以上の患者を受け入れています。今回、日本によって供与された医療機材によって州立ラショー総合病院の医療水準が向上し、地元の多くの人々の利益となることを期待しています。
3月30日ヤンゴンにおいて、2007年度日本政府(文部科学省)奨学金により 4 月から日本の大学院等において留学する予定のミャンマー人青年に対するオリエンテーション及び送別会が日本大使館主催で開催されました。 参加した 24 名の留学予定者は、いずれも次代のミャンマーの国造りを担うことが期待される若手の公務員・研究者達であり、オリエンテーションの場では、日本大使館担当職員から日本での留学に関する詳細な説明や注意事項が伝えられました。また、ミャンマー人の日本留学経験者からは日本の生活と勉強に関する自らの経験が披露されました。質疑応答では受講者から、日本食、入学試験への準備方法、家族問題への対処等様々な質問が活発に寄せられました。これらの質問に対する日本留学の先輩からのアドバイスは留学予定者の不安を解消するのに役立ったと思われます。
引き続き行われた送別会では、日本大使館天野臨時代理大使、テットン・ミャンマー元日本留学生協会顧問及びミンウェイ・ミャンマー元日本留学生協会第一副会長によるはなむけの言葉が述べられました。留学予定者達は、テットン顧問が語る、60年以上前に自分が日本に初めて到着した際の鮮烈な印象に夢中になって聞き入りました。話の中には、テットン顧問が日本で出会った歴史上の有名人物も登場しました。テットン顧問が日本に留学した当時とは、人も時代も、この 4 月に留学する若者をめぐる状況とは全く異なっていますが、テットン顧問が日本留学の際に感じた興奮は、今度留学する若者と同じ興奮であると感じられました。ミン・ウェイ副会長は、最近日本に行った経験、特に、大都市東京で感じた不便をユーモラスを交えて語りました。これら激励の言葉に対し、科学技術省に勤務するチョー・チョー・リン氏が留学予定者を代表して感謝の言葉を述べました。 日本政府の奨学金による留学制度は、1952年にスタートして以来、延べ約800人のミャンマー人留学生を受け入れてきました。留学経験者達はいずれもミャンマー国内の主要な分野の指導的人材として活躍すると共に日本・ミャンマー間の貴重な架け橋となっています。
ヤンゴン市タマダ映画館にて2月21日から24日、マンダレー市ウィンライト映画館にて3月8日から11日、各都市4日間2007年日本映画祭が開催されました。 日本映画祭は在ミャンマー日本大使館と国際交流金の共催、ミャンマー情報省の協力で毎年開催されており、今年で第8回目を迎えました。 2月21日のヤンゴン初日のオープニングセレモニーでは、天野哲郎公使とアウン・ミョー・ミン映画庁総裁より挨拶がありました。 今年は、千野皓司監督の日緬合作映画「血の絆」の他、日韓友好映画「チルソクの夏」と日本映画界の巨匠黒沢明監督の代表作である「まあだだよ」の2本の日本映画が上映されました。今年の日本映画祭では、多くの人々からの要望に応え、両都市の初日と最終日の計4日間、日緬合作映画「血の絆」が上映されました。 「血の絆」を鑑賞した観客からは「映像、音響いずれも素晴らしかった。」、「とにかく感動した。」、「日本とミャンマーの友好関係が描かれたこの傑作を一日も早くミャンマーで一般公開してほしい。」などと高い評価が得られた他、他の日本映画についても、「異なったタイプの日本映画を連日観ることができて大変満足でした。」という感想を述べており、鑑賞客は一年に一度の日本映画の上映を非常に満足した様子で鑑賞していました。 今年の日本映画祭では両都市いずれの映画もほぼ満員となり、大盛況で幕を閉じました。大使館としては、今後もミャンマーの人々に良質の日本映画を紹介していきます。
3月2日、3日の2日間、ヤンゴンの日本大使館と元日本留学生協会の事務所にてミャンマーの日本語教師を対象に国際交流基金の協力により6年ぶりに日本語教師研修会を行いました。 今回の研修会では、お隣タイの国際交流基金バンコク日本文化センター日本語部より八田直美主任講師を招き、2日間で約100名の日本語教師がこの研修会に参加しました。 研修会では、午前に「初級日本語教授法」として特にコミュニケーション能力の養成について、午後は「中級日本語教授法」として読解力の養成について講習が行われました。 研修に参加した日本語教師の方々からは、「今後も是非継続的に研修会をおこなってほしい」、「日本語教育の最新情報や教授法を紹介していただき、大変有意義な研修会であった」、「他の日本語教師とも知り合いになることができる良い機会になった」などと今回の研修会に関し、とても満足したと感想を述べていました。また、研修後の質疑応答では普段教育の現場で困っていることや疑問などについて、活発な質問がありました。 ミャンマーでの日本語学習者の増加に伴い、日本語教師も増加しており、大使館としては、今後もこうした日本語教師研修会を定期的に実施し、ミャンマーでの日本語学習レベルの向上や日本語の普及に努力していきます。
最近、ミャンマーでは日本語学習者の数が急増しており、それに伴い日本の大学・大学院への留学希望者の数も増加しています。
2月5日、ヤンゴンにて、第1回帰国留学生の会が日本大使館の主催で開催され、総計約60名の元留学生と政府関係者が参加しました。 小田野日本大使は歓迎スピーチの中で、帰国留学生がミャンマーの国造りのために各々の分野において活躍していることを心強く思うと共に、様々な日本文化、生活様式、日本語を学んだ アウンチョーミャンマー元日本留学生協会会長は、乾杯の音頭をとり、「我々留学生は日本で学んだ「頑張る精神」を大いに発揮するべきだ。」と元留学生を激励しました。 レセプションで、元留学生はお互いの経験を分かちあいましたが、彼らは日本での思い出は、単に大学での勉強にとどまらず、日本人の友人との触れ合い、ホームステイを通じて学んだ日本人のおもてなしの心、秋葉原のハイテク製品、美しい日本の地方都市への旅行、美味しい日本食等いろいろあると述べていました。元留学生は日本への留学は彼らの帰国後の職業上の活躍に役立ったと話し、これからも日本に関わっていきたいと口々に話していました。 日本政府は、ミャンマー政府と協力して人材開発に力を注いでおり、現在では毎年約60名のミャンマー人の学生に奨学金が供与されており、1952年以来、累計で約800名が文部科学省の奨学金を得て留学しました。多くの元留学生は、帰国後、各界にて大いに活躍するとともに、日本とミャンマーの間の貴重な架け橋となっています。
草の根無償資金協力「チャウセー県(マンダレー管区)洪水被害農民救済計画」
日本政府は17万9千454米ドルの草の根無償資金協力を「チャウセー県洪水被害農民救済計画」に対して行うことを決定し、その贈与契約署名式典が、2007年1月23日、当国農業灌漑省ヤンゴン事務所にてミャンマー農業灌漑省テ・ウー大臣及び小田野駐ミャンマー大使ご出席の下、マンダレー管区農業調整委員会アウン・チン委員長と当館小川参事官との間で行われました。 この草の根案件は、2006年10月の大雨によりマンダレー管区チャウセー県で発生した大洪水により被害にあった農民を救済するためのものです。被災地では、合計約3万7千エーカーの農作物が被害に遭い、被害総額は約330万ドルに達しました。 本件では、小規模水路の修復のために必要なショベルカー4台と農作物の洗浄・消毒及び肥料散布に必要な散布器580台を供与します。(2007年1月)
日本政府は265万米ドルの無償資金協力を「第七次母子保健サービス改善計画」に対して行うことを決定しました。その署名式が、2006年11月22日、ヤンゴンにて小田野駐ミャンマー大使と UNICEFミャンマー事務所シュレスター・常駐代表との間で行われました。署名式では、ミャンマー保健省ティン・ウィン・マウン局長から、日本政府の支援によりミャンマーの子ども達を病気から救うことができると謝意が述べられました。 この無償資金は、マラリア対策や麻疹ワクチン、基礎医薬品、産科関連機材、 HIV/AIDSテストキットなどの調達に使用され、ミャンマー保健省の協力のもと、UNICEFを通じて地区病院や農村地区の医療施設に配布される予定です。 本件は、ミャンマーの特に農村地区での母子保健サービスの改善を目的に、ミャンマー保健省、日本政府及び UNICEFの協議のもとで進められてきました。これに関連して、我が国では、1999年から2005年までに6回にわたり同様の無償資金協力を実施してきており、総額は2,930万米ドルとなります。 今回のプロジェクトでは、 UNICEFの活動を支援することでミャンマーの母子保健環境が更に向上し、ミャンマーと日本の友好関係が強化されることが期待されています。(2006年11月)
11月1日、東南アジア青年の船の代表団一行が日本大使館を訪問し、大使館員との集いに出席しました。
10月30日、31日の両日、ミャンマー柔道連盟と日本大使館との共催によって第4回ジャパン・カップ柔道大会がヤンゴン市アウンサン競技場体育館にて開催されました。今年は、第一工業省やスポーツ省、建設省などの各省庁の実業団及びザガイン管区やシャン州からの代表チームなど合計10チームが参加し、昨年の大会より約40名多い男子79名、女子45名、合わせて124名がジャパンカップ優勝杯獲得を目指し熱戦が繰り広げられました。 今年の大会では、ミャンマー鉄道省実業団チームが最優秀チーム賞を獲得しました。また、10月31日の表彰式では、トゥラ・エー・ミィンスポーツ大臣や小田野大使より、優勝杯やトロフィー、賞品が授与されました。 本大会は、ミャンマーにおける柔道振興を通じた日本とミャンマーのスポーツ交流を目的に、日ASEAN交流年の2003年より毎年開催されている恒例のもので、多くのミャンマー柔道家が参加している大会です。 本大会について、ミャンマー柔道連盟の関係者からは「ジャパン・カップ柔道大会はミャンマーと日本の貴重なスポーツ交流の場であり、ミャンマー柔道家にとっては柔道が日本の伝統スポーツであることを改めて再認識させる有意義な機会となっています。」という積極的なコメントが聞かれます。 日本大使館としては、今後もこうしたミャンマーにおける日本の伝統スポーツの普及を通じて、日本とミャンマーの相互理解や友好関係の発展に努力していきたいと思います。
10月14日(土)、ヤンゴン市ロイヤル日航ホテルにおいて、日本大使館とミャンマー元日本留学生の共催により2006年日本語スピーチコンテストが開催され、在留邦人や日本語を学ぶミャンマー人など約300人の観客が会場に足を運びました。 日本語スピーチコンテストはヤンゴンでは今回で7回目、またマンダレーでは過去5回開催されており、ミャンマーでは毎年恒例の日本語関連行事として日本語学習者の日々の学習成果を発表する貴重な機会となっています。今年はヤンゴンのみでの開催ということからミャンマー各地から60名の応募があり、厳正な予選を通過した男性8名、女性11名の全19名がコンテストに挑みました。本コンテストでは参加者に思う存分発表して頂くために自由課題としたことから、発表内容は日本語や家族などに留まらず、迷信や上野動物園、自然環境保護などと多岐に渡りました。参加者はそれぞれ日本語で身振り手振りを交え自分の意見を発表し、今回から審査の対象となった質疑応答では審査員の厳しい質問に対して参加者は、日本語で一生懸命答えていました。 ミャンマーでは、日本語学習者が年々増加しており、国立大学や民間日本語学校、僧院で日本語を学んでいる学生は全国で6千人を上回っていることが象徴するように、今回のコンテストは例年よりも更にレベルの高いコンテストとなりました。 日本大使館では、日本語スピーチコンテストだけでなく、日本文学翻訳コンテストや日本語能力試験、日本留学試験などの日本語関係事業や日本文化を紹介する月例日本映画会や年に1度開催する日本映画祭なども文化行事を行っています。 日本大使館としては、ミャンマー各地の日本語学習者がこれらの機会を捉え、日本語の能力をより一層向上させることを期待しています。
【入賞者】 一位 :チョー・ズィン・ラッ 題目:人間の本性( 受賞作品原稿 ) 二位 :ズィン・リン・ニョー 題目:上野動物園とヤンゴン動物園の差( 受賞作品原稿 ) 三位 :トー・ズィン・ウー 題目:私の宝物( 受賞作品原稿 ) 特別賞:ウェ・ピョー・ナイン 題目:気付いた日本語 特別賞:タイッ・タイッ・トエー 題目:日本語で世界を歩こう 特別賞:ナイン・ソー・サン 題目:母から私、私から・・・
10月14日(土)、ヤンゴン市ロイヤル日航ホテルで開催された2006年日本語スピーチコンテストと併せて、今年3月18日にヤンゴンとマンダレー両都市にて開催された第1回日本文学翻訳コンテストの表彰式が行われました。 例年では日本語作文コンテストを開催しておりましたが、今回大使館では趣向を変え、日本文学の紹介と日本語の読解力向上を目的に日本文学翻訳コンテストを実施しました。本コンテストは初級、中級、上級の3つに分け、それぞれ自分の日本語能力に適した作品を参加者に翻訳して頂きました。今年の翻訳作品は初級「手紙一」、中級「ツェねずみ」、上級「注文の多い料理店」といずれも作家宮沢賢治の作品で、今年のコンテストではヤンゴン107名、マンダレー91名、計198名の日本文学に関心を持つ多くの日本語学習者が宮沢賢治の作品の翻訳に挑戦しました。 参加者からは「「翻訳作品は、普段勉強している日本語とは全く違っていて難しかったけど大変勉強になった」、「日本語を自分の言葉に翻訳する難しさを感じた」、「日本の文学作品をじっくり読んだのは今回が初めてでした」などの感想が寄せられた。このように本コンテストは、自分の能力を評価し、授業で習ったことを実践する貴重な機会となり、日本語学習者にとって大きな刺激になったようです。 表彰式の後には、審査員長を務めて頂いたミャンマー元日本留学生協会テットン前会長により改善点などを含めた本コンテストの講評がされました。 日本大使館としましては、来年の日本文学翻訳コンテストがよりハイレベルなコンテストになるよう、多くの方々のご参加を期待しております。
【受賞者】 上級一位:チョー・ソー・モー ( 受賞作品 ) 二位:キン・ケッ・ケッ・ウー 三位:テッセイン 中級一位:ウィン・ウィン・カイン・トン ( 受賞作品 ) 二位:チョー・ケー・カイン 三位:メースーシン 初級一位:ナイン・ソー・サン ( 受賞作品 ) 二位:タイッ・タイッ・トエー 三位:カイン・スー・リン
10月5日、ヤンゴンのジビタダナサンガ病院において、同病院側より病院管理委員会のニュン副委員長、在ミャンマー日本大使館の天野哲郎公使の出席のもと、日本政府の草の根・人間の安全保障無償資金協力による医療機材(約9万2千米ドル相当、13機材)の引き渡し式典が開催されました。
同病院は社会奉仕団体により運営される総ベッド数150床の総合病院です。各医療サービスは基本的に無料で提供されており、対象としている患者は主に僧侶及び治療費を払えない貧困層です。日本政府は同病院のこうした活動を支援するために既に1995年より4次にわたり総額約27万ドル相当の医療機材を供与してきております。
日本政府は、かねてより病院建設や医療機材供与などミャンマーの保健医療分野への協力を実施してきました。今回同病院に供与された機材が活用され、より多くの貧困層の患者に医療サービスが提供されることを期待しています。 (2006.10)
本年10月2日、新ヤンゴン総合病院において、チョウ・ミン保健大臣、小田野大使の出席の下、日本政府及びJICAのフォローアップ無償資金協力によるCTスキャナー(X線断層撮影機、総額65万米ドル相当)の供与式典が行われました。同式典でミャンマー側からは、日本の協力に対して深く感謝する旨が述べられました。
新ヤンゴン総合病院は1984年に日本政府の無償資金協力により建設されたもので、今回供与されたCTスキャナーは、2004年5月の火災によって損傷した機材を更新するものです。日本政府はミャンマーに対する医療分野での協力を重視しており、これまでも多くの医療機材を供与してきました。このCTスキャナーが活用されることによって、より多くの患者の命が救われることが期待されます。 (2006年10月)
9月21日ヤンゴンにおいて、2006年度日本政府(文部科学省)奨学金により10月から日本の大学院等に留学する予定のミャンマー人青年に対するオリエンテーション及び送別会が日本大使館主催で開催されました。 参加した35名の留学予定者は、いずれも次代のミャンマーの国造りを担うことが期待される若手の公務員・研究者達であり、オリエンテーションの場では、日本大使館担当職員から日本での留学に関する詳細な説明や注意事項が伝えられました。また、ミャンマー人の日本留学経験者は日本の生活と勉強に関する自らの経験が披露されました。質疑応答では受講者から「日本の大学研究室での研究生活において最も留意すべきことは何か」、「日本では研究だけではなく多くの日本の友人を得たいと思うがどうしたらよいか」、「単に学位を得るだけではなく日本の発展の秘密も学びたいがどういう方法があるのか」等多くの質問が活発に寄せられ、これからの留学生活に対する彼らの強い希望と期待が感じられました。 引き続き行われた送別会では、日本大使館公使、ミャンマー教育省企画訓練局副局長、ミャンマー元留学生協会会長によるはなむけの言葉が述べられました。ミャンマー外務省儀典局に勤務するワナ・ハン氏から「今回のオリエンテーションで不安が解消された。精一杯がんばって勉強したい。」等これから日本に向かう35名の留学予定者の代表としての決意を語りました。更に送別会場では、参加した多くの日本留学経験者との交流も活発に行われ、先輩たちの貴重な助言や体験談に耳を傾けていました。 日本政府の奨学金による留学制度は、1952年にスタートして以来延べ 700人超のミャンマー人留学生を受け入れてきました。留学経験者達はいずれもミャンマー国内の主要な分野の指導的人材として活躍すると共に日本・ミャンマー間の貴重な架け橋となっています。留学生の受け入れと彼らの成長を通じて日本・ミャンマーの友好関係の一層の発展が期待されます。
12名から成る日本の青年グループは、日本政府(内閣府)主催による青年交流事業の一環として8月末より20日間の日程でミャンマーを訪問しました。この訪問は2001年度より年1回毎年実施されているもので本年度で6回目になりますが、毎回10数名の20代を中心にした学生、勤労者等の日本人青年がミャンマーを訪れ現地の人々との交流と相互理解を促進する重要な機会となっています。 本年度も滞在期間中、ミャンマー側の受け入れ窓口である連邦連帯開発協会の親身な協力により、ヤンゴン、マンダレー、バガン及びタウンジーといった当国の主要都市を訪問するとともにミャンマー政府、大学・文化関係者等からの説明を受け、参加者は、ミャンマーの生活、歴史及び文化について書物を通じるのみでは得られない貴重な知識・理解を得ることができました。また、滞在中のハイライトの一つは実際に一般のミャンマー人の家庭にお世話になるホームステイであり、今回はヤンゴン、バガン及びタウンジーの3ヶ所で実施されました。1ヶ所あたり3日間でしたが、日本人参加者は受け入れてくれたミャンマー人家庭の温かいもてなしと人情に触れると共にミャンマー人の家庭でも日本人の若人との身近な交流により生きた日本人理解に役立った等で、互いに去り難い思いを抱いたとのことです。 訪問日程の最終日には、日本・ミャンマー交流のための日本大使館主催夕食会が開催され、日本の青年グループ一行は、日本の伝統舞踊と歌を披露してお世話になったミャンマー側関係者への感謝の気持ちを伝え、ミャンマー側出席者から喝采を受けました。最後に、今回の参加青年全員が異口同音に「ミャンマーに関心が持てた。機会があれば是非再訪したい。」と述べる等、今次訪問は非常に有意義な成果を収めました。
ミャンマーに対する緊急無償資金協力(ポリオ予防接種に対する支援)
1.ミャンマー政府は、本年4月、マンダレー管区ピン・ウー・ルイン地区で生後19ヶ月の幼児がポリオを発症したことを受け、国連児童基金(UNICEF)等と協議の上、ポリオ発生場所周辺でのポリオワクチン予防接種を実施することを決定し、9月3日に第1回目のポリオワクチンの一斉投与を行いました。 2.日本政府は、ミャンマー政府が実施するポリオワクチン予防接種投与を支援するため、国連児童基金(UNICEF)を通じ、約2,800万円の緊急無償資金協力を実施しました。 3.今回の日本政府の資金協力は、ミャンマーの児童をポリオから救うことを目的とした緊急性の高い人道案件であり、支援する意義及び必要性は極めて高く、日本政府は今後ともこのような人道支援を続けていく考えです。
日本政府及び JICA は、シャン州北部のコーカン地方において、ケシに代わる作物としてソバ栽培を支援してきました。このコーカン産ソバを使用した商品として、昨年よりミャンマー企業によりソバ焼酎が販売されています。今回、このソバ焼酎に新たな 2 品目が加わりました。これまでより度数の高い36度の ソバ焼酎と 43 度のソバウィスキーです ( 写真参照 ) 。 これらの新しいソバ焼酎は 9 月中旬、ソバウィスキーは 9 月下旬より、ヤンゴン・マンダレーなどの都市のスーパーマーケット、酒屋等で販売される予定との ことです。 日本大使館は、引き続き同地域のケシ栽培撲滅及び貧困削減を支援してまいります。
製造元 Mandalay Shwe Yi Distilleries Co. Ltd. Website: www.shweyi.com Email: shweyi-hq@myanmar.com.mm
( ヤンゴン ) H-64 Ar Thaw Ka St. , Bayintnaung Warehouses, Mayangone Township , Yangon Tel: (Office) 01-680560,681223,682467 (Factory) 01-4410286 ( マンダレー ) Myat Saw Nyi Naung Pagoda St. , Corner of Yuzana St ., Bet.(23x24)&(88x89) St. , Aung Myay Thar San Township, Mandalay Tel: (Office) 02-27542, 32429,64682 (Factory) 01-4481125
我が国の NPO である「家族計画国際協力財団( JOICFP )」は、ミャンマーのマグウェー管区において、国連人口基金 (UNFPA) と協力しつつ、家族計画と母子保健環境の向上に努めています。この度、我が国政府は日本 NGO 支援無償資金協力約1千万円を JOICFP に提供し、同地区の 12 カ村の地域保健施設の補修を行いました。 7 月14日、グウェイピン村地域保健所において、同プロジェクト完了開所式が行なわれ、ミャンマー側より保健省保健局ティン・ティン・ティ公衆衛生課長ほか、ダニエル・ベーカー UNFPA 代表、石井澄江 JOICFP 事務局長、当館より小川正史参事官が出席しました。
今回の地域保健施設の改修により、同地域の人々に対して母子保健を中心とする質の高い保健サービスを提供することが可能となりました。
また、本件は国連、ミャンマー政府、日本政府及び日本 NGO の4者による協力で実現した意義深いプロジェクトです。
NPO民族フォーラムによる社会福祉省消防局に対する救急車・消防車の供与
我が国の NPO である「民族フォーラム」は、我が国地方自治体より提供された中古の救急車及び消防車各 1 台を社会福祉省消防局に贈呈し、その贈呈式が本年 7 月 4 日に開催されました。この民族フォーラムの活動には、我が国政府が日本 NGO 無償資金協力として、輸送費、修理・整備費など約72万円を支援しています。この式典には、ミャンマー側よりチョー・ミン社会福祉省副大臣、ミン・トゥン消防局長ほか、民族フォーラムよりミン・マウン当地代表、当館より天野哲郎公使ほかが出席しました。
今回の救急車及び消防車の贈呈により、火災や事故、病気など緊急時において、消防局が迅速な対応を取ることが可能になりました。
2006年5月23日(招待者限定上映)、24日(一般上映)ヤンゴンにおいて、30日(招待者特別上映)、31日(一般上映)マンダレーにおいて、それぞれ日本・ミャンマー合作映画「血の絆」の特別上映会を開催し、4日間ほぼ満員の大盛況に終わりました。23日のヤンゴン封切りのオープニングセレモニーは、日本から千野皓司監督が駆け付け、小田野大使とテイン・トン・アウン映画庁総裁代行も出席し盛大に行われました。 3時間21分におよぶ映画「血の絆」には、日本とミャンマー両国の有名俳優が多数出演しており、映画制作に企画からシナリオ執筆、撮影を終えるまで約17年の歳月を費やした超大作です。来年の日本大使館主催日本映画祭でも「血の絆」を上映する予定です。
「 Thway~血の絆」ストーリー:
第二次世界大戦末期のインパール作戦に赴いた日本軍兵士、吉田隆夫の娘、吉田由美が大学生に成長し、実は自分には父親とミャンマー女性(マ・トエトエ)の間に生まれた異母弟(モンモン)がいることを知り、この異母弟を捜すためにミャンマーに行き、さまざまな紆余曲折の果てに「弟」に巡り会うという筋書きの、美しくも哀しい姉弟の物語です。
「千野皓司監督講演会」-山田洋次監督と日本映画の状況と題して-
2006年5月25日、日本大使館アセンブリーホールにおいて、日本・ミャンマー合作映画「血の絆」の千野皓司監督による講演会が行われました。講演会当日には、ミャンマー映画協会関係者や俳優、日本語学習者など約100人の聴衆が集まりました。講演会では、日本映画の変遷、山田洋次監督や「血の絆」に関する興味深いエピソードなど千野監督の豊富な体験談を交えお話して頂きました。講演後は、山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」を上映し、来客の皆様に鑑賞して頂きました。
5 月 9 日、小田野大使はシャン州コーカン特別区ラオカイ市にあるコーカン人民病院を訪問し、日本政府が同病院に対して草の根無償資金協力によって供与した医療機材の引渡し式に出席しました。この式典にはラショー副司令官フラ・ミン准将、コーカン特別区ポン・チャー・シン主席、ラオカイ司令官トゥン・ネイ・リン准将他が出席しました。今回供与されたのはレントゲン機器、超音波診断機など、約865万円相当の機材です。これによって、住民に対する医療サービスが向上することが望まれます。
また、同日小田野大使は JICA がコーカン特別区で総合的な麻薬撲滅・社会開発事業として実施している小学校の開所式やミャンマー農業公社( MAS ) が運営する実験農場施設の落成式に参加しました。
1.日本政府は平成16年(2004年)11月19日、反麻薬協会に対し草の根無償資金により麻薬患者更生及び研修施設建設のために約6万6千米ドルの支援を行い、同協会がこれまで同施設の建設を進めてきました。本年5月30日、同施設の完成に伴い開所式が行われ、当館より小田野大使、ミャンマー側よりミンスエ中将、マウン・ウー内務大臣及びサン・テイン-ミャンマー反麻薬協会会長他が出席しました。 2.ミャンマー政府は、麻薬撲滅に取り組んでおり、日本政府も協力をしております。当施設では、麻薬中毒患者の更生及び社会復帰を目的とする研修、また相談員や指導員の育成などの活動が行われる予定です。 3.今回の日本政府による支援がミャンマーの麻薬問題解決に大きく貢献することが期待されています。
3 月 30 日、日本政府は鳥インフルエンザによる被害の拡大が懸念されている世界 15 カ国に対して 4900 万米ドル ( 約 58 億円 ) をユニセフを通じて支援することを発表しました。 4900 万米ドルのうち 210 万米ドル ( 約 2 億 5 千万円 ) がミャンマーにおける予防教育・啓蒙活動をはじめ、消毒薬や石鹸などの予防衛生物資調達に充てられます。これまで、鳥インフルエンザによる死亡例の約半数は子どもが占めており、今回の支援によって、特に多くのミャンマーの子ども達を鳥インフルエンザ感染から防ぐことが期待されています。
1。日本政府は AMDA(日本NGO)の協力により、シャン州コーカン第一特別区ラオカイ市に所在するラオカイ市民病院に対して、草の根無償資金協力による約2000万円相当の医療機材を供与しましたが、2005年11月3日、その引き渡し式典がラオカイ市において開催されました。この式典には、当館小田野大使の他、ミャンマー政府側より地域平和発展評議会、辺境民族開発省及び保健省の関係者、コーカン特別区よりポン・ター・シュン副主席他が出席しました。 2。コーカン第一特別区は、中国雲南省と国境を接するシャン州北部に位置し、人口の70%は明朝末期に中国より移住した漢族(コーカン族)によって構成されています。同特別区政府は1989年にミャンマー政府と和平合意を結びました。過去100年にわたりコーカン地区は世界有数のアヘン産地でしたが、2002年にアヘンの栽培を全面的に禁止しました。同特別区には、コーカン族の他にシャン族、パラウン族など多数の少数民族が生活し、その医療面を含む生活水準は非常に遅れています。 3。今回の医療機材供与は、緊急搬送患者の治療に対応できる外科手術機材や X線装置などを中心とするもので、これによりコーカン特別区の医療水準大きく改善することが期待されています。ミャンマー政府及びコーカン自治政府からは、日本政府及びAMDAの協力に深く感謝する旨が述べられました。(2006.1.31更新)
「日本政府と国連児童基金(UNICEF)の協力による第6次母子保健サービス改善計画」
1。日本政府は UNICEF を通じてミャンマーの子どもに対する保健サービス活動に 380 万ドルの無償資金協力を行うことを決定し、 2005 年 11 月 9 日、ミャンマー保健省関係者の出席の下、小田野大使と UNICEF ミャンマー事務所キャロル・ロング代表との間で交換公文への署名が行われました。ロング所長は、署名式でのスピーチの中でミャンマーの子どもたちを致命的な病気から守るために国際社会の支援が必要とされており、この重要な時期に日本政府からの資金供与があったことで来年はより多くの子どもたちの命が救われるだろうと述べました。 2。 この無償資金協力はミャンマーの子どもたちに対する HIV/AIDS とマラリア対策および各予防接種活動に使用されます。ミャンマーにおける日本政府と UNICEF との協力は 1994 年に開始され、麻疹予防、ポリオ根絶などへの協力が行われてきました。今日の「母子保健サービス改善計画」は、 1999 年にそれまでの支援活動を統合して形成されたものであり、今回で 6 回目を迎えました。 3。日本政府としては今後もミャンマー保健省及び UNICEF と協力してミャンマーの子どもの衛生環境の向上に向けて支援を行っていく考えです。
1. 2005年10月6日、ヤンゴン総合病院にて日本政府の草の根無償資金協力によるレントゲン機材引渡し式典が行われました。式典には小田野大使の他、保健省ティン・ウィン・マウン保健局長、ヌー・ヌー・ター病院長他が出席しました。ミャンマー側からは日本政府の保険医療分野に対する協力に深く感謝する旨が述べられました。 2.ヤンゴン総合病院は1899年に設立されたミャンマー最大の総合病院です。貧困層の患者を無料で診察しているため、毎日多数の患者が来院し、昨年の外来患者数は約20万人に上っています。同病院ではレントゲン設備が老朽化し、数の不足が指摘されていました。2004年12月に病院側より新たなレントゲン設備の要請があり、検討の結果、最新のレントゲン設備一式(89,000ドル相当)を供与することが決定され、今回無事に機材が病院に贈呈されることとなりました。 3.日本政府は無償資金協力・技術協力を通して、ミャンマーの保健衛生の向上に尽力してきております。今後ともこのような人道的支援を続けていく考えです。
トー・カウン博士に福岡アジア文化賞(学術研究賞)が贈られました 2005年8月2日、ヤンゴン市内において、トー・カウン博士(ミャンマー歴史委員会委員、元ヤンゴン大学中央図書館館長、ヤンゴン大学名誉教授)に対する 福岡アジア文化賞(学術研究賞)受賞祝賀会が開催されました。この式典には小田野大使とタン・アウン教育大臣などが出席し、福岡市を代表して日下部国際部長から受賞者に決定通知書が手渡されました。トー・カウン博士は、2000年の学術研究賞受賞者であるタン・トゥン博士(故人)に続いて二人目のミャンマーからの受賞者です。9月には福岡市において授賞式及び一連の文化行事、受賞者による市民フォーラム等が行われました。このように、日本とミャンマーは幅広い分野で交流があります。 (2006年2月更新)
日本政府と国連世界食糧計画(WFP)の協力による緊急食料支援 日本政府は本年4月、WFPを通じてシャン州北部のコーカン地区での食料援助活動に50万ドルの支援を行いました。シャン州の一部、特にコーカン地区では換金作物となっていたケシの栽培を完全に停止したため、農家の現金収入が途絶え、食糧事情が急速に悪化しています。日本政府とJICAは、ケシ代替作物となるソバ栽培の普及にも取り組んでいるところですが、今般、WFPは日本政府の支援によって貧困農民に対しコメとソバクッキーの配布を行いました。 ソバでつくられた栄養強化クッキーは貧困農民の児童に学校給食として配布されました。これは、児童の栄養補給になるだけでなく、日・ミャンマー両政府が協力しているソバ栽培及びそのミャンマー国内での流通を促進することにもなり、さらに給食として配布することで児童の通学を促すことにもなります。日本大使館としては引き続きこのような貧困救済活動をサポートしていきたいと考えています。(2005年7月14日更新)
ミャンマー北部のいわゆる「黄金の三角地帯」を含む国境地帯では、土地が痩せており、荒れた土地でも良く育つケシが栽培されてきました。ケシの実からはアヘンが精製され、大きな問題となってきました。ミャンマー政府は、1999年から15年計画でこの問題に全力で取り組んでいますが、日本を含む国際社会はこれを応援しており、大きな成果を上げてきています。特に栽培が盛んであったシャン州北部のコーカン地方では既にケシ栽培を全廃しており、ケシに代わる商品作物として、日本政府及びJICAの援助によるソバの栽培が開始されています。 ミャンマーでは元来ソバを栽培、消費する習慣がありませんでしたが、ミャンマー企業によって、ソバクッキー、ソバ乾麺の生産や、ソバ焼酎、ソバウィスキーなどの試験生産も始まっており、ミャンマー国内での消費が進んでいます。日本大使館としても、このようなソバを巡る地場の努力が成功するよう願っています。
現在このような製品を製造しているミャンマー企業は以下の通りということです。
ソバクッキー、ソバ乾麺
Golden Crow (Shwe Kyee) Bakery, Mandalay 148 Corner of 78th & 39th Street, Mahaaungmye T/S, Mandalay, Myanmar.
ソバ焼酎
Mandalay Shwe Yi Distilleries Co. Ltd. Website: http://www.shweyi.com |
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