12月17日にヤンゴン市内ホテルにて、国際交流基金ジャカルタ日本文化センターの協力により、インドネシアから来られた日本人漫画家・前山まち子専門家による日本漫画紹介レクチャー・デモンストレーション及び漫画の描き方を実際に教えるワークショップを行いました。
講演会には、日本語学習者や漫画愛好家など一般市民300名以上の観客が会場に足を運びました。レクチャーでは、前山まち子専門家が日本漫画の歴史や特徴などをパワーポイントなどで分かり易く説明され、その後のデモンストレーションでは日本の漫画の様々な技術を披露しましたが、何れも大好評でした。
ワークショップでは、ミャンマー人漫画家を含む約30名の漫画愛好家が参加し、前山専門家より漫画の描き方に関する手法などがきめ細かく指導されました。また、ミャンマー人の漫画家もそれぞれ漫画を描きミャンマーの漫画技術を披露するなど、漫画を通しての日本・ミャンマー二国間文化交流が行われました。
聴衆からは「日本の漫画が世界各国で翻訳されていることには驚いた。」、「日本でこんなに沢山の漫画雑誌が出版されていることは全く知らなかった。」「ミャンマーでは漫画家は男性ばかりだけど、日本では女性の漫画家が活躍していることは興味深い。」と述べ、日本の漫画事情を初めて知り大変驚いていた様子でした。
日本大使館では、日本の伝統文化だけでなく、今後も日本漫画、日本アニメ等の日本のポップカルチャーを紹介する事業も実施していく予定です。
12月15日にヤンゴン市内ホテルにおいて、日本大使館とミャンマー元日本留学生協会共催、ヤンゴン日本人商工会議所協賛により2007年日本語スピーチコンテストが開催され、約250名の聴衆が来場しました。
日本語スピーチコンテストはヤンゴンでは今回で8回目となり、昨年からは全国大会としてヤンゴンのみで開催している毎年恒例の行事です。今年は全国から31名の日本語学習者から応募があり、第一次予選を通過した18名の参加者がスピーチを行いました。本コンテストは例年同様自由課題で、発表内容としては日本語そのものに関するスピーチもありましたが、自分の人生観から地球温暖化等の環境問題と内容は多岐に亘り、聴衆は参加者の日本語のレベルの高さに驚かされていました。また、質疑応答のセッションでは、審査員のユーモア溢れる質問に発表者や会場から笑いがでるなど大好評でした。その他にも、今年からは当地のヤンゴン日本人商工会議所より協賛団体として第1位入賞者への賞品25インチ型テレビとDVDプレーヤーが寄付され、授賞式で第1位の賞品が発表されると会場内には歓声がわきました。
1位受賞者のウェ・ピョー・ナインさんは当館のインタビューで以下のように答えてくれました。 「今回は現在の社会を脅かす地球温暖化や環境問題について発表したかったので、「おろかな人間」という題目で発表しました。」 「昨年、このコンテストに参加したのですが残念ながら特別賞だったので、今年は必ず1位になろうと猛練習をしてきました。1位になれてとても嬉しいです。おまけに賞品が25インチ型テレビと DVDプレーヤーだったので嬉しさは格別です。」 「今後は日本で政治経済を勉強するために日本の大学に留学できるよう努力していきたいと思います。」
他の発表者からも「受賞者には選ばれなかったけれども、他の参加者のスピーチがとても良かったので感動しました。」と述べていました。審査員の一人は「参加者の日本語能力が想像以上に高かったので驚くと共に感動しました。」と今年の参加者のレベルの高さに驚いていたようです。
第一位:ウェ・ピョー・ナイン 題目:おろかな人間 第二位:ケイ・ズィン・ウィン 題目:かけがえのない体験 第三位:ヤン・ナイン・ミィン 題目:大切にしていきたいもの 特別賞:アウン・イェ・トゥ 題目:きれいな地球 特別賞:フニン・ナンダー・コ 題目:忘れられない一日
昨年3月10日にヤンゴンとマンダレー両都市で日本大使館主催、ヤンゴン日本人商工会議所協賛、ミャンマー元日本留学生協会協力により開催された第2回日本文学翻訳コンテストの表彰式が12月15日にヤンゴン市内のホテルにて開催された2007年日本語スピーチコンテストと併せて行われました。
日本文学翻訳コンテストは日本文学の紹介及び日本語の読解力向上を目的に開催されたものです。本コンテストでは初級、中級、上級と3つにレベルを分け、それぞれ自分の日本語能力に適した作品を参加者が翻訳しました。今年の翻訳作品は、初級は新美南吉の「あし」、「去年の木」、「飴だま」、中級は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、上級は芥川龍之介の「蜜柑」で、ヤンゴンから92名、マンダレーから93名の日本語学習者が今回のコンテストに参加しました。
上級第1位受賞者は「受賞するために参加した訳でなく、自分の実力を試すため、また翻訳に興味があったのでコンテストに挑戦してみました。結果的に受賞できて、とても自信がつきました。」と感想を述べていました。
他の参加者からは「普段勉強している日本語と大きく異なる日本語をじっくり読む良い機会になった。」、「日本語を母国語に翻訳する難しさを実感させられた。」などの感想が寄せられました。日本文学翻訳コンテストは、日本語学習者にとって新たな刺激となる貴重な機会となっているようです。
表彰式の後には、今回審査員長を務めたミャンマー元日本留学生協会テッ・トン前会長に本コンテストの講評を頂きました。
日本大使館では、日本文学翻訳コンテストだけでなく、日本語学習者の学習成果を試す機会として、日本語スピーチコンテストや日本語能力試験、日本留学試験などを行う傍ら、日本語のみならず、今後とも日本映画祭、日本音楽のコンサートなどの日本の文化を紹介する文化事業も実施する予定です。
【受賞者】 上級1位:ミィン・ミィン・テイン(受賞者の作品) 2位:チン・タン 3位:ティン・エイ・エイ・コ
中級1位:ティリ・ケイ・カイン(受賞者の作品) 2位:スエ・ズィン・ユ 3位:ゼーヤー・リン
初級1位:フニン・ナンダー・コ(受賞者の作品) 2位:トゥ・トゥ 3位:ピュー・ピュー・アウン
日本政府は2006年12月5日、草の根無償資金協力によりアウンザブ僧院付属中学校の校舎を建設するため、約7万9千米ドルの支援を行いました。2007年11月15日、同校舎の完成に伴う開所式が行われ、在ミャンマー日本国大使館より吉村藤謙書記官、ミャンマー側より、同僧院僧侶長ケートゥーマラー他が出席しました。式典では、同校の代表生徒より学校建設に対する我が国への謝辞が述べられました。
アウンザブ僧院付属中学校は、1993年より経済的理由などから学校に通学できない子どもたちを受け入れ、無料で授業を行っています。ミャンマーでは、このような僧院による学校教育が各地で行なわれており、貧しい子どもたちの教育レベルの向上に重要な役割を果たしています。今回、2階建て校舎、家具、トイレを支援したことにより、子どもたちの学習環境が改善されました。 日本政府は、これまでにもミャンマーにおいて150校以上の学校を建設するなど、教育分野における支援を実施しています。教育は国の発展に非常に重要であり、日本政府はこれからもより多くの子どもたちが教育を受けられるよう支援を続けていきます。
11月2日、野川保晶大使は、新首都ネーピードーにてタン・シュエSPDC議長に信任状を捧呈しました。
野川新大使の主な経歴は以下の通りです。
1973年4月に外務省に入省し、語学研修のためのフランスへの留学を経て、外務本省での勤務(広報、国連、経済協力、中近東アフリカ等を担当)、在外公館での勤務(イタリア、ザイール(現コンゴ民主共和国)の後、中近東アフリカ局アフリカ第一課長、在英国日本大使館参事官、在フランス日本大使館参事官、在インド大使館公使、中近東アフリカ局審議官、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部次席大使、在シドニー総領事、農畜産業振興機構理事等を務めました。
在ミャンマー日本大使館では、毎年最も優秀な日本語学習者を国際交流基金による日本での2週間の研修に派遣しています。今年は約60カ国から約65名の日本語成績優秀者が参加しました。2007年度の優秀者として選ばれたHITOセンターの学生であるトー・ズィン・ウーさんに今回の研修での経験についてインタビューしました。
問:日本に行く前と行った後で日本に対する印象はどのようにかわりましたか。 答:以前は本などで日本は産業の発達した国だと理解していました。しかし実際に行ってみると、産業だけでなく経済、教育、社会など全ての面で発展したとても秩序のある国だと感じました。
問:日本に行って最も気に入った場所はどこですか。 答:一番気に入った場所は広島市の平和記念資料館です。原爆の被害を見て、戦争に対して嫌悪の情を抱きました。もう一つは、宮島公園です。海岸沿いで景色がとても綺麗でした。沢山の鹿もいました。
問:研修で興味深かったプログラムについてお聞かせ下さい。 答:一泊二日のホームステイです。私が滞在した家には夫婦2人、息子1人、娘1人がいました。皆、私を家族の一員のように温かく受け入れてくれました。
問:他国の人達と日本語を話す機会がありましたか。どの国の人が、より日本語が上手でしたか。 答:話す機会がありました。日本では日本語能力試験のレベルでグループ分けされ、一級を合格している人は4名だけでした。私はブラジル、パラグアイ、ハンガリー等の学生と一緒のグループになりました。私の能力試験の得点は一番高かったのですが、ブラジルの学生の方が発音が上手でした。
問:日本語を勉強するミャンマーの学生に一言。 答:日本語能力試験を合格しただけで満足せず、常に勉強してください。日本語上達のために日本人とたくさん付き合ってください、カセットを聞いて練習してください、また日本文化や歴史も併せて勉強してくださいと言いたいです。 (了)
12名から成る日本の青年グループは、日本政府(内閣府)主催による青年交流事業の一環として9月初めより約3週間の日程でミャンマーを訪問しました。この訪問は2001年度より年1回毎年実施されているもので本年度で7回目になりますが、毎回10数名の20代を中心にした学生、社会人の日本人青年がミャンマーを訪れ現地の人々との交流と相互理解を促進する重要な機会となっています。 本年度も滞在期間中、一行は、今回の青年団は、「Chit Te Myanmar, Step for the Future(一瞬を一生に)」とのスローガンを掲げ、ヤンゴン、マンダレー、バガン及びタウンジーといった当国の主要都市を訪問しましたが、プログラムには小学校、社会福祉訓練学校、現地で活躍する日本のNGO訪問も含まれ、青年達は活発に質問を投げかけていました。 青年達は、ヤンゴン、バガン及びタウンジーの3ヶ所でミャンマー人一般家庭を訪問しましたが、ミャンマー人の温かいもてなしを受け、家庭料理を楽しみ、また、ある青年は、日本の歌と踊りを村人に教えて村全体で踊る等印象深い時を共に過ごしたとのことです。青年達を受け入れた一般家庭のミャンマー人は最後、空港まで青年団を見送りに来て、別れを惜しんでいたことからも、真の友情が培われたことがうかがわれます。
9月27日ヤンゴンにおいて、2007年度日本政府(文部科学省)奨学金により10月から日本の大学院等において留学する予定のミャンマー人青年に対するオリエンテーション及び送別会が日本大使館主催で開催されました。 参加した24名の留学予定者は、いずれも次代のミャンマーの国造りを担うことが期待される若手の公務員、研究者、教員達であり、オリエンテーションの場では、日本大使館担当職員から日本での留学に関する詳細な説明や注意事項が伝えられました。また、ミャンマー人の日本留学経験者からは日本の生活と勉強に関する自らの経験が披露されました。質疑応答では参加者から、日本語の勉強法、論文の執筆方法から飛行機の乗り方に至るまで幅広い質問がありました。留学予定者の殆どは外国に行くのは初めてであり、希望と同時に不安があると見受けられましたが、このオリエンテーションは不安を解消するのに役立ったと思われます。 引き続き行われた送別会では、テットン・ミャンマー元日本留学生協会顧問及びアウンチョー同協会会長、日本大使館関係者によるはなむけの言葉が述べられました。テットン顧問は、勉強も大事であるが、日本とミャンマーにはいろいろな面で大きな違いがある、留学生として日本とミャンマーの文化の違いを学ぶことが重要であると強調しました。アウンチョー会長は、留学生は日本とミャンマーの架け橋になることが重要であること、留学期間中に日本人の精神を是非学んで欲しいこと等述べました。これら激励の言葉に対し、外務省に勤務するポン・ミン・ウーが留学予定者を代表して感謝の言葉を述べました。 日本政府の奨学金による留学制度は、1952年にスタートして以来、延べ800人のミャンマー人留学生を受け入れてきました。留学経験者達はいずれもミャンマー国内の主要な分野の指導的人材として活躍すると共に、日本・ミャンマー間の貴重な架け橋となっています。
9月7日及び8日にヤンゴン市内にて、日本大使館・国際交流基金共催の「箏とフルートのコンサート」が開催されました。 バンコク在住の音楽家であるフルート奏者の松島寛(まつしま ひろし)氏、坪井紀子(つぼい のりこ)氏、鈴木 けい子氏は、伝統的な曲と現代的な曲の両方の演奏を通じ、日本音楽の美を完璧に表現しました。2日間で、約400名の観客が集まりましたが、彼らは、日本の伝統的な弦楽器である箏とフルートから流れ出る繊細かつ力強い響きを経験する貴重な機会を楽しみました。 「私は日本の伝統的なコンサートを一度も見たことがないです。今回が初めてです。私の心の中で一番残っているのは、「Midnight Rain」という箏の曲でした。この曲を聴いた途端に、箏の音の代わりに雨の音を聞きました。にわか雨、大雨、風の音、カミナリの音・・・いろいろな音がホテルの中で聞こえるのはコンサートに協力した人々のおかげです。日本の伝統的なコンサートを大好きになりました。」 コンサートの後で、聴衆は音楽家達と懇談の時間を持ちました。聴衆は、箏の演奏法、どのような楽譜を使っているのか、何年くらい練習すればプロになれるのか等多くの質問をしました。聴衆の中には、有名なミャンマー人の音楽家もいました。 今回のコンサートを通じ、音楽好きのミャンマー人が日本の音楽と楽器に関心を持ってくれるようになり、また、ミャンマー人と日本人が普遍的な言語である音楽を通じて直接的に心を通い合わせることができたと考えられます。
草の根無償資金協力によるミャンマー国立血液センター血液検査機材の引渡式
日本政府は平成 19 年 (2007 年 )1 月 16 日、草の根無償資金により国立血液センターに対して約7万7千米ドルの支援を行いました。本年 8 月 9 日、ミャンマー全土17の血液銀行に対する血液検査機材の整備に伴い、それらの引渡式が行われ、当館より小川参事官、ミャンマー側よりティン・ウィン・マウン保健省保健局長、ヌー・ヌー・ターヤンゴン総合病院医院長、ネー・ウィン国立保健検査所局長他が出席しました。
今般、日本政府の協力により全国17の各病院に 2 種類の血液検査機材が整備されることで、対象各地の血液検査体制の強化及びより安全な血液の供給が可能となります。
日本政府は保健環境の整備は国の発展と人々の生活向上に欠かせないものであることから、ミャンマーに対する医療分野の協力に力を入れています。今回の支援により当国における保健サービスの改善、またミャンマーと日本の更なる友好関係の発展が期待されています。 (2007 年 8 月 9 日 )
平成19年度無償資金協力「人材育成奨学計画」及び「中央乾燥地植林計画」
日本政府は、ミャンマー政府に対し、平成19年度無償資金協力「人材育成奨学計画 (4.07 億円 ) 」及び「中央乾燥地植林計画」 (0.61 億円 ) 」、計 4.68 億円の無償資金協力を行うことを決定し、6月28日、当館小田野大使と国家計画経済開発省ソー・ター大臣との間で E/N 交換公文署名を行いました。
人材育成奨学計画は、ミャンマーの若手政府職員や NGO 職員に対し、日本の大学への留学機会を提供するもので、今年度を含め、これまでに 133 名の若者が日本の大学の修士課程に留学しました。そのうち既に 55 名が帰国し、ミャンマー政府内等で活躍しています。 中央乾燥地植林計画は、ミャンマー中部の乾燥地帯において植林事業を 2002 年度より実施しており、緑化を通じて自然環境の回復と地域住民への生活資源供給を目的としたモデル植林地として 1500ha の植林造成を行っています。
署名式典において、ソー・ター大臣より、「日本政府より、人材育成奨学計画として、これまでに 20 億円以上の支援が実施され、将来のミャンマーの国造りを担う政府若手職員等の能力向上に大きく貢献している。また、中央乾燥地植林計画としてこれまでに約 14 億円の支援が実施され、中央乾燥地帯の緑化、森林資源の確保による地域住民の生活向上、さらには世界的関心事となっている地球温暖化の防止にも貢献している。」と感謝の言葉がありました。
日本政府は今後もミャンマーの民主化を担う人材育成や、住民の生活向上に資する支援を行っていく考えです。
草の根無償資金協力によるシャン州ナテイ。パツサン間道路安全対策及びカマイ村橋梁完成式典
日本政府は平成18年 (2006 年 ) 11月22日、タイとの国境に位置するシャン州において、草の根無償資金協力によりナティ・パッサン間道路 ( 全長 44km) の安全対策と橋梁改築 (2 橋 ) のため約7万3千ドルの支援を行いました。本年 6 月 5 日、同施設の完成式典が行われ、当館から小田野大使、ミャンマー側から北シャン州平和発展協議会ソー・ミン書記等多くの関係者や村民が出席しました。
シャン州北部のラショー市からコーカン特別自治区へ抜ける既存道路は、急峻な山岳道路のため車両通行は困難で危険を伴うものでした。そこで、一部危険区間(44km)について安全対策のためガードポストを6,000本設置し、さらに老朽化した既存橋梁2本の改築を行いました。これにより、同道路を通行する人々の安全が確保されることになり、交通量の増大も期待されます。
今回の協力は、地域住民の生活基盤に直接作用し、中長期的には地域の活性化も期待される裨益効果の高い案件であり、日本政府は今後ともこのような支援を続けていきます。
5月14日、バングラデシュ国境のラカイン州を襲ったサイクロン「 AKASH 」により、同州シットウェ地区、チャオピュー地区において、死者14名、行方不明者15名、被災家屋2000戸以上、被災者1万人の被害が発生しました。
5月29日のミャンマー政府からの援助要請を受け、6月5日、日本政府はテント、毛布等総額約1千万円の緊急物資支援を行いました。 6月14日、首都ネーピードーにおいて、当館矢間書記官とタン・ウー社会福祉・救済復興省救済復興局長による緊急物資引き渡し式が行われました。同式典においてミャンマー側より、日本国民及び日本政府に対する今回の迅速な支援への感謝が述べられました。
ミャンマー政府が今回の災害において緊急支援を要請した国は日本のみであり、このことは、これまでに培われてきた両国の友好関係の深さと日本への強い信頼を表しています。
日本政府は、海外における大規模災害に際し、今回のような緊急物資支援の他に、国際緊急援助隊の派遣等、被災者へ迅速な支援が行えるよう常に準備をしています。
日本政府は平成18年 (2006 年 )1 月 16 日、カレン州ヤテピャン村に対し、草の根無償資金協力により地域附属保健所建設のため約1万8千ドルの支援を行い、同施設の建設を進めてきました。本年5月24日、同施設の開所式が行われ、当館より吉村書記官、ミャンマー側よりテイ・ナウン州保健局長を初め多数の関係者と村民が出席しました。
これまで、同村を含む12村(人口約7千人、1,398世帯)には医療施設がなく、助産師による循環診療に頼っており、助産師が他の村を巡回して不在の場合には、伝統医療師に頼るか遠方の病院まで自力で移動するしかありませんでした。
今般、同施設の完成により、常勤の助産師の派遣が州保険局との間で約束されており、同村を含む12村の住民は、同施設において迅速で適切な診療、予防接種、出産補助を受けることが可能となりました。
今回の協力は、適切な医療を受ける機会が少ない農村地域の医療サービスの向上を目的としたものであり、日本政府は、これからもより多くの貧困層の患者に医療サービスが提供されるよう支援を続けていきます。
無償資金協力「人材育成奨学計画」第3回留学生帰国報告会の開催
5 月 18 日、ヤンゴンにて、無償資金協力「人材育成奨学計画」における第3回留学生帰国報告会が開催されました。また、本報告会には今年度留学予定の若手ミャンマー政府職員・NGO職員も招待されました。
報告会では、修士課程を修了した若手のミャンマー政府職員の代表者5名が、それぞれ法律、経済、経営、情報通信、農業の5分野について、日本の大学で取り組んだ研究の成果を発表しました。その中には、途上国の地方エリアの成長に不可欠な安全な飲み水の供給プロジェクトの実現可能性を研究したものや、また、ミャンマーにおける重要産業の一つであるホテル産業について、ホテル経営者と宿泊客等への聞き取り調査を元に、ユーザーの様々な要求を満たすための異なるタイプのホテルサービスの必要性等、ホテル経営戦略の重要性についての研究がありました。 こうしたミャンマーの自立的発展に不可欠な分野について見識を深めたら彼らには、今後のミャンマーの国造りにおいて重要な役割を担うことが期待されます。 また、各プレゼンテーションの後に設けられた質疑応答の時間には次期留学予定者から活発な質問があり、次期留学予定者にとって日本の情報を得る貴重な機会になりました。
2001 年度より開始された当事業により、これまで 103 名のミャンマー政府・NGO職員等が日本の大学に留学し、現在留学中の 48 名を除く 55 名が修士号を取得しました。現在、帰国した留学生の多くはそれぞれの職場で大いに活躍するとともに、日本・ミャンマー間の貴重な架け橋となっています。
5月30日及び31日にヤンゴン市内にて、日本大使館・国際交流基金共催の生け花デモンストレーションが開催されました。
華道家元池坊特別派遣教授である笹山安文(ささやま やすふみ)氏と石渡雅史(いしわた まさふみ)氏の両名は、古典的スタイルとフリースタイルの両方の生け花を生けることにより、「生け花」という日本の伝統文化の美を披露しました。2日間で、約400名の観客が集まりましたが、若くてダイナミックな教授は生け花のみならず、興味深くかつ刺激的なトークによっても観客を魅了しました。
デモンストレーションの後、ワークショップにおいて、関心を持った参加者は両教授の指導の下、生け花を実際に体験する機会を得ました。老若男女約80名が自分自身の生け花を生けようとベストを尽くしました。
参加者の中からは次のような感想が述べられていました。 「枯れた葉っぱ、枝まで使用して、新たな美を造り出すことに感激した。」 「生け花は、西洋やミャンマーのフラワーアレンジメントと全然違うと思った。西洋 のフラワーアレンジメントでは、沢山花を使った方が豪華で良いとみなされるのに、 生け花では数少ない花で簡素な美を造り出す。その点に特に魅力を感じた。」 「ヤンゴンで是非生け花レッスンを受講したい。」
今回の生け花デモンストレーションは、参加者が単に花の生け方のみならず、生け花の背景にある独特の日本人の物の考え方や美意識にまで関心をもって頂いたことで大変有意義な日本・ミャンマー両国の文化交流が実施できました。
1.2007年3月17日、シャン州の州立ラショー総合病院において、日本政府の草の根資金協力による医療機材の引渡し式典が行われました。式典には小田野大使の他、フラ・ミン北東軍管区司令官、キン・マウン・ワ病院長他が出席しました。
2.式典においては、小田野大使から日本政府はミャンマーの保健医療分野の状況改善に力を入れて協力していること等を説明するスピーチを行い、キン・マウン・ワ病院長よりは、日本政府が寄贈した医療機材を有効に活用していきたい旨述べつつ、今回の寄贈への感謝の言葉が述べられました。
3.今回州立ラショー総合病院に供与した機材は、殺菌装置、人工呼吸器、酸素濃縮器など27種。総額約5万7000ドルになります。
4.州立ラショー総合病院は、北シャン州最大の総合病院であり、毎年8万5000人以上の患者を受け入れています。今回、日本によって供与された医療機材によって州立ラショー総合病院の医療水準が向上し、地元の多くの人々の利益となることを期待しています。
3月30日ヤンゴンにおいて、2007年度日本政府(文部科学省)奨学金により 4 月から日本の大学院等において留学する予定のミャンマー人青年に対するオリエンテーション及び送別会が日本大使館主催で開催されました。 参加した 24 名の留学予定者は、いずれも次代のミャンマーの国造りを担うことが期待される若手の公務員・研究者達であり、オリエンテーションの場では、日本大使館担当職員から日本での留学に関する詳細な説明や注意事項が伝えられました。また、ミャンマー人の日本留学経験者からは日本の生活と勉強に関する自らの経験が披露されました。質疑応答では受講者から、日本食、入学試験への準備方法、家族問題への対処等様々な質問が活発に寄せられました。これらの質問に対する日本留学の先輩からのアドバイスは留学予定者の不安を解消するのに役立ったと思われます。
引き続き行われた送別会では、日本大使館天野臨時代理大使、テットン・ミャンマー元日本留学生協会顧問及びミンウェイ・ミャンマー元日本留学生協会第一副会長によるはなむけの言葉が述べられました。留学予定者達は、テットン顧問が語る、60年以上前に自分が日本に初めて到着した際の鮮烈な印象に夢中になって聞き入りました。話の中には、テットン顧問が日本で出会った歴史上の有名人物も登場しました。テットン顧問が日本に留学した当時とは、人も時代も、この 4 月に留学する若者をめぐる状況とは全く異なっていますが、テットン顧問が日本留学の際に感じた興奮は、今度留学する若者と同じ興奮であると感じられました。ミン・ウェイ副会長は、最近日本に行った経験、特に、大都市東京で感じた不便をユーモラスを交えて語りました。これら激励の言葉に対し、科学技術省に勤務するチョー・チョー・リン氏が留学予定者を代表して感謝の言葉を述べました。 日本政府の奨学金による留学制度は、1952年にスタートして以来、延べ約800人のミャンマー人留学生を受け入れてきました。留学経験者達はいずれもミャンマー国内の主要な分野の指導的人材として活躍すると共に日本・ミャンマー間の貴重な架け橋となっています。
ヤンゴン市タマダ映画館にて2月21日から24日、マンダレー市ウィンライト映画館にて3月8日から11日、各都市4日間2007年日本映画祭が開催されました。 日本映画祭は在ミャンマー日本大使館と国際交流金の共催、ミャンマー情報省の協力で毎年開催されており、今年で第8回目を迎えました。 2月21日のヤンゴン初日のオープニングセレモニーでは、天野哲郎公使とアウン・ミョー・ミン映画庁総裁より挨拶がありました。 今年は、千野皓司監督の日緬合作映画「血の絆」の他、日韓友好映画「チルソクの夏」と日本映画界の巨匠黒沢明監督の代表作である「まあだだよ」の2本の日本映画が上映されました。今年の日本映画祭では、多くの人々からの要望に応え、両都市の初日と最終日の計4日間、日緬合作映画「血の絆」が上映されました。 「血の絆」を鑑賞した観客からは「映像、音響いずれも素晴らしかった。」、「とにかく感動した。」、「日本とミャンマーの友好関係が描かれたこの傑作を一日も早くミャンマーで一般公開してほしい。」などと高い評価が得られた他、他の日本映画についても、「異なったタイプの日本映画を連日観ることができて大変満足でした。」という感想を述べており、鑑賞客は一年に一度の日本映画の上映を非常に満足した様子で鑑賞していました。 今年の日本映画祭では両都市いずれの映画もほぼ満員となり、大盛況で幕を閉じました。大使館としては、今後もミャンマーの人々に良質の日本映画を紹介していきます。
3月2日、3日の2日間、ヤンゴンの日本大使館と元日本留学生協会の事務所にてミャンマーの日本語教師を対象に国際交流基金の協力により6年ぶりに日本語教師研修会を行いました。 今回の研修会では、お隣タイの国際交流基金バンコク日本文化センター日本語部より八田直美主任講師を招き、2日間で約100名の日本語教師がこの研修会に参加しました。 研修会では、午前に「初級日本語教授法」として特にコミュニケーション能力の養成について、午後は「中級日本語教授法」として読解力の養成について講習が行われました。 研修に参加した日本語教師の方々からは、「今後も是非継続的に研修会をおこなってほしい」、「日本語教育の最新情報や教授法を紹介していただき、大変有意義な研修会であった」、「他の日本語教師とも知り合いになることができる良い機会になった」などと今回の研修会に関し、とても満足したと感想を述べていました。また、研修後の質疑応答では普段教育の現場で困っていることや疑問などについて、活発な質問がありました。 ミャンマーでの日本語学習者の増加に伴い、日本語教師も増加しており、大使館としては、今後もこうした日本語教師研修会を定期的に実施し、ミャンマーでの日本語学習レベルの向上や日本語の普及に努力していきます。
最近、ミャンマーでは日本語学習者の数が急増しており、それに伴い日本の大学・大学院への留学希望者の数も増加しています。
2月5日、ヤンゴンにて、第1回帰国留学生の会が日本大使館の主催で開催され、総計約60名の元留学生と政府関係者が参加しました。 小田野日本大使は歓迎スピーチの中で、帰国留学生がミャンマーの国造りのために各々の分野において活躍していることを心強く思うと共に、様々な日本文化、生活様式、日本語を学んだ アウンチョーミャンマー元日本留学生協会会長は、乾杯の音頭をとり、「我々留学生は日本で学んだ「頑張る精神」を大いに発揮するべきだ。」と元留学生を激励しました。 レセプションで、元留学生はお互いの経験を分かちあいましたが、彼らは日本での思い出は、単に大学での勉強にとどまらず、日本人の友人との触れ合い、ホームステイを通じて学んだ日本人のおもてなしの心、秋葉原のハイテク製品、美しい日本の地方都市への旅行、美味しい日本食等いろいろあると述べていました。元留学生は日本への留学は彼らの帰国後の職業上の活躍に役立ったと話し、これからも日本に関わっていきたいと口々に話していました。 日本政府は、ミャンマー政府と協力して人材開発に力を注いでおり、現在では毎年約60名のミャンマー人の学生に奨学金が供与されており、1952年以来、累計で約800名が文部科学省の奨学金を得て留学しました。多くの元留学生は、帰国後、各界にて大いに活躍するとともに、日本とミャンマーの間の貴重な架け橋となっています。
草の根無償資金協力「チャウセー県(マンダレー管区)洪水被害農民救済計画」
日本政府は17万9千454米ドルの草の根無償資金協力を「チャウセー県洪水被害農民救済計画」に対して行うことを決定し、その贈与契約署名式典が、2007年1月23日、当国農業灌漑省ヤンゴン事務所にてミャンマー農業灌漑省テ・ウー大臣及び小田野駐ミャンマー大使ご出席の下、マンダレー管区農業調整委員会アウン・チン委員長と当館小川参事官との間で行われました。 この草の根案件は、2006年10月の大雨によりマンダレー管区チャウセー県で発生した大洪水により被害にあった農民を救済するためのものです。被災地では、合計約3万7千エーカーの農作物が被害に遭い、被害総額は約330万ドルに達しました。 本件では、小規模水路の修復のために必要なショベルカー4台と農作物の洗浄・消毒及び肥料散布に必要な散布器580台を供与します。(2007年1月)
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