1. 概況
(1) ミャンマーは、日本の1.8倍にあたる国土面積、5000万人を超える人口と天然ガスや鉱物資源のほか、水産資源、森林資源など豊富な天然資源に恵まれています。また、豊富な天然資源に加えて、国土の大半が平坦な土地で広大な耕作地を有していることから、大きな経済発展の潜在力を持っていると考えられます。しかし、ネ・ウィン前政権が、1962年以来、閉鎖的な社会主義経済政策を実施した結果、経済活動の停滞、対外債務の累積などの経済的困難を招きました。1987年2月には、ミャンマーは、国連によって「後発開発途上国」(LLDC)の認定を受け、今日に至っています。
(2) 現政府は、1988年9月の政権掌握後、社会主義政策の放棄を宣言し、外資法の制定など経済開放政策を推進してきました。その結果、ミャンマー経済は、1992年から1996年まで高い経済成長率を示しましたが、その後、アジア通貨危機の影響を受けて経済成長が停滞しました。
(3) その後、2003年2月には、非合法な金融事業会社の営業停止が引き金となって民間銀行に対する預金取り付け騒ぎが発生し、民間金融機関や一般企業に深刻な資金不足が生じ、金融セクターに大きな影響を与えました。また、同年5月30日のスー・チー女史拘束を受けて、同年7月に米国が新たな対ミャンマー経済制裁法を制定し、ミャンマー産品の輸入やミャンマー向け送金を全面的に停止したことにより、国内経済や国内産業は大きな影響を受けました。(その後、2007年9月の僧侶及び民衆によるデモがミャンマー政府により武力鎮圧されたことを受け、同年10月、米国による経済制裁の対象者は、軍政に近い経済人及び企業にまで拡大されています。)
(4) 他方、政府による経済構造改善に向けた努力も続けられています。2003年4月には、コメの取引自由化を決定し、公務員に対して生活物資を低価格で供給する配給制度を2004年1月に廃止しました。さらに、2005年7月には優先輸入品目リストの撤廃、同年10月にはガソリン及びディーゼルの公定燃料価格の大幅引き上げが実施されました。これらは財政収支や貿易収支バランス改善等に向けたミャンマー政府の取り組みの一環と言えますが、充分な事前予告なしに唐突に実施されることが多いため、経済的な混乱を招き、市民生活にも影響を与えています。2007年8月15日に実施された公定燃料価格の再度の大幅引き上げも財政赤字を削減するための取り組みの一環として実施されたと目されていますが、公共交通機関の料金や小売物価の上昇を招き、物価の引き下げを求めるデモを誘発し、国内に大きな混乱が生じる結果となりました。
(5) このようにミャンマー経済は、現在、引き続き市場経済化に向けた過渡期にあり、硬直的な経済構造や不透明な経済政策が要因となり、慢性的な財政赤字や通貨価値の下落を招いています。また、制度的、構造的制約が多いことから、外国投資、貿易及び金融等経済活動が低迷した状態が続いています。
(6) 更に最近では、2008年5月にミャンマー西部のデルタ地帯を襲ったサイクロン「ナルギス」が、死者・行方不明者約14万人、経済的損失約40億ドル(国連・ASEAN・ミャンマー政府の合同調査による試算)の未曾有の被害をもたらし、世界的経済不況も、直接的な打撃は軽微なものの、対外貿易の減少、海外就労者の帰国といった事態を生じさせています。
(7) 上記のようなマイナス要因が積み重なる一方、90年代末から外国資本による沿岸部での天然ガス開発が行われており、2004年1月にラカイン州の沖合で新たに発見された天然ガス田も、韓国、インド、中国を中心とする外国資本により商業化への準備が進められています。また、近年、タイ、中国、インドといった近隣諸国との連携が一層強まる傾向にあり、これらの国からの開発資金の流入、国境貿易の活性化等により、ミャンマーの経済活動が活発になっていくことが期待されています。
2. 主な経済指標
(1)全般
(2)我が国との関係
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